谷川健一『魔の系譜』
私が谷川健一の『魔の系譜』に出会ったのはまったくの偶然で、ブックオフの100円コーナーにて「なんか面白そうな本ねえかな〜」と目を皿のようにしていたところなのだった。タイトルからして物々しさが満載だけれども、日本の呪術や天狗といった伝承を媒体としながら日本の裏精神史を描き出すものすごい面白い本です、コレ。「諸星大二郎の元ネタみたいな本だな……」とか思いながら読み進めていたんですが、実際、諸星大二郎も谷川健一からの影響について告白しているのだとか。まあ、出てくるわ、出てくるわ、露骨なパクリ元が……(もちろんそれらは諸星大二郎流のアレンジが加えられて漫画化されるわけですが)。一年神主、隠れキリシタン、常世の国……といったキーワードにピンと来た方々は、なるほど諸星大二郎のアイデアの源泉はこれだったのか〜、と確認するためにも一読をオススメいたします。
さて、この谷川健一先生、在野の民俗学者ということですが、その解釈はちょっとこじつけっぽかったり、突っ込み待ちを狙ってるんじゃないか、と疑われるところがあり、問題を感じなくもない。例えばこんな具合。「イナゴに蝗の字をあてるのは、イナゴが虫の王と畏怖されるほどの害を及ぼすからだと、私は勝手に解釈している」(P.187)。勝手に解釈しちゃうんだ……! と思わず半笑いになってしまいますけれど、そういう飛び方をしているからこそ余計に面白い。ラテンアメリカの作家の小説を読んでるときに「なんて想像力をしているのだ、この大陸の人たちは」と驚愕しながらページをめくるのと同じぐらい驚きがあります。もちろんそれは谷川先生がとりあげる題材そのものに、そうした力があるからなのですが。不遇の運命を辿った崇徳天皇が地獄に落ちて、天狗になり、後鳥羽天皇、後醍醐天皇とともに天狗軍団を結成していたり、平将門が反乱をおこそうとしたとき京都では蝶の大群が現れて人々を驚かしたり……異次元レヴェルのファンタジックな事象には事欠かない。本書を読むと、日本のマジックリアリズムを発見できる、と言っても過言ではありません。
前述の崇徳天皇については明治天皇が即位した年に、公式に鎮霊の儀式を執り行い、そこには戊辰戦争に負けないように……という政治的意図まで込められていた、という話は呪術や怨念といった観念の根深さを示すもののように思われ、興味深かったです。これが約150年前の出来事。崇徳天皇が死んだのはそれより700年以上前の話。それぐらい崇徳天皇は恐れられていた、ということですが、日本という国は、たった150年前にそうした公式行事がおこなわれていた国であった、ということはなかなか感慨深いものがあります。戦後しばらくしても、興信所への身元調査に「相手方の家に犬神や蛇神に関係がある者がいないか?」という依頼がたくさんあったそうだし、そうした《迷信》を意識しなくなったのなんかごく最近のことなんだろうな〜、とか思ったり。今もアフリカ大陸には魔術師だの祈祷師だのがいると聞きますが、日本だってつい最近まで同じレベルだったのだな〜、とかね。