論理的/非論理的
http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20080729/p1
昨日書いたエントリについて「論理的/非論理的」という区分けについて、過剰に反応されている方がいらっしゃったのでここで補足。私が不用意に「言語的≒論理的」、「非言語的≒非言語的非論理的*1」と不用意に繋げてしまって書いたので、おそらくそのような誤解が生じているのと思われるのだが、ここで私は「非論理的コミュニケーション」というものを、プラトン、あるいはアドルノにおける「模倣(ミメーシス)」という概念を前提に考えている。
http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20070531/p1
http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20061114/p1
ミメーシスについて、過去に以上のようなエントリを書いた(前者はプラトンの、後者はアドルノの)ので、ここで説明を繰返すようなことはおこなわない。しかし、非言語的コミュニケーションはあくまで非言語的コミュニケーションなのであって、それは言語的な枠組みでは捉えきれないものである、ということだけ繰返しておきたい。それは「(私の思考能力が追いついていないせいで)言語的に説明できない」という話ではないのだ。音楽について書いた文章が、決して音楽にならないように、非言語的コミュニケーションを言語的に《理解する》ことは不可能である、と私は考える。
また、ミメーシスは論理という過程を飛び越えて、理解へと至る。この意味で「非論理的コミュニケーション」と呼ぶことは充分可能である(ように思う)。例えば『崖の上のポニョ』での模倣の場面を思い返して欲しいのだが、そこでは「箸をつかってラーメンを食べると、手も汚れないし、暑くも無くて便利だし、美味しい」という、「AはBだからCだ」という過程は踏まれていない。「宗介が箸を使ってるのを真似してみたら、美味しかった」という理解が描かれている。
宮崎駿の「過去の作品」を「想起」するにあたって、「物語性で言えば『風の谷のナウシカ』、テーマ性で言えば『もののけ姫』」????? えええええ!? こりゃまた素敵な選択だなwww
こおゆう物言いをする奴ぁ、まったく信用できんwwww ストーリーのはっきりしない映画を見ると、必ずこういうこと言い出す奴が出てくるwwwww 「言葉で語るための映画」でないなら、何故エントリ上げる??
「言語的なコミュニケーション」は「論理的」で、「非言語的なコミュニケーション」は「非論理的」なのかいwww じゃ、「ポニョが宗介を模倣することによって、人間としての経験を積んでいく」行為は「非論理的」なんだなwwww それのどこが「非論理的」なのか、説明してもらおうじゃねえかwwww
(消毒しましょ!より)
ちょっと思い切った話をするとたまにこういった「(ちゃんと文章を読んでいないのに)プゲラとかいいたがる人」というのが現れるものだが(だってねぇ……『ものすごくシンプルな物語だ』といってるのに『ストーリーのはっきりしない映画を見ると、必ずこういうこと言い出す奴が出てくる』という反応はないでしょう……えーと、文盲ですか?)、「説明してもらおうじゃねえか」とかおっしゃるので説明してみた。
また、
「言葉で語るための映画」でないなら、何故エントリ上げる??
という質問に答えるならば、文脈を読め、ということになる――あくまで私は「(既存の宮崎駿作品について用いられてきた)言葉」ではなく、もっと別な言葉が必要なのだ、という話をしている。だからこそ、私は「別な言葉」――目で観、耳で聴くための言葉――を提示するために、エントリを書いている。
もし「こんな考えには納得できない」というのであれば、今度はあなたの考えを見せて欲しい、と思う。解釈に正解は存在しない。私はあなたに対して否定をおこなわない。けれども、その文章が面白いか/面白くないか、の評価はおこなうだろう。少なくとも精神分析的手法を用いた文章や、製作者の性癖と作品を結びつけた文章には、私はあまり感心しないと思う――立派なことを言ってそうに見えるだけで、その文章はまったく作品が与える感動を伝えていないからだ*2。