sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

ザッパはゲンダイオンガクか

Zappa: The Yellow Shark

Zappa: The Yellow Shark

 最近、フランク・ザッパのラストアルバムである『The Yellow Shark』を聴き直して「ザッパは現代音楽との関連が云々……と言われるけれど、オーケストラを使っているだけでどこが“現代音楽”だったんだろう……」と思いました。「オーケストラを用いる=前衛的・革新的」という語りはロックとクラシックのヒエラルキーを感じさせる現象であると思います。ザッパとは逆の例になってしまいますが、芸術的なコードによって取り扱われるような「交響音楽」のなかに通俗的な要素が含まれることは、何もマーラーの19世紀末まで待つことなく、ブラームスショパンドヴォルザークなどによっても行われたことでした(ハンガリー舞曲、ポーランドの民俗舞踏を基にしたピアノ曲、スラヴ舞曲)。ジャンルを乗り越える、という試み自体にはなんの新しさもない……ように思われるのです。
 よって、オーケストラを用いたロックによって「(ザッパの試みが)クラシックという領域を乗り越える」というような言葉は、むしろ語れば語るほど「クラシック(高級な芸術)とはロックにとって永遠に乗り越えるべき対象」として刻み付けられてしまうような言葉のように感じます。未だに「オーケストラと競演」で大騒ぎしているのは一部のハイテクメタルぐらいでしょうから、はっきり言ってどうでも言いのですが。
 しかし、ザッパの遺作を聴いてひとつ思うことは「あと20年早く管弦楽法と対位法を学んでいたらジョン・アダムズを超えるぐらいの作曲家になっていたであろう」ということ。作品を聴いていると、あまりに旋律的な要素に頼りすぎ、音が薄く(生音が大きいこと以外は)ほとんどオーケストラを使用する意味がなくなっているように思います。ただし、アルバムの前半で組曲的に演奏される部分は、音の厚みが練られていて素晴らしい。パーカッションの音によって厚みのある音に聴こえさせているだけかもしれませんが、少なくとも「これ、ジョン・アダムズの曲だよ」と言って聴かせたら信じてもらえそうな感じはします。あと、このアルバムにホルン奏者としてシュテファン・ドール(現・ベルリンフィル首席奏者、つまりほぼ世界一上手いホルン奏者ということ)が参加していることは驚きでした。


 上に挙げたのは、フランク・ザッパの「ジャズ・ロック期(と呼ばれる)」の全盛期を伝える映像。エイドリアン・ブリューの姿も見られますが、現在とほとんど芸風が変わらないのがおかしい。けど、なんと言っても、ここで大活躍しているのはドラムのテリー・ボジオ。古きよきストロングスタイルレスラーを髣髴とさせる黒パン一丁でペダルを踏みまくっております(ほとんどキチガイ沙汰)。これのどこがジャズなのか……完全にハードロックじゃないか……と思うところですが、ザッパの求心力とはあまりに多彩な音楽性ゆえに、そのような“誤解”を生みがちなところに源泉があるのかもしれません。
 ザッパ大先生に言わせれば「黙ってギターを聴いてくれ」と言ったところかもしれませんが……。