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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

読売日本交響楽団第496回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

曲目
指揮:下野竜也
ホルン:ラデク・バボラーク
《下野プロデュース・ヒンデミット・プログラムV》
ヒンデミット/歌劇〈本日のニュース〉序曲
R.シュトラウスメタモルフォーゼン(変容、23の独奏弦楽器のための習作)
R.シュトラウス/ホルン協奏曲第2番
ヒンデミットウェーバーの主題による交響的変容

 読売日本交響楽団の9月定期は正指揮者、下野竜也によるヒンデミットを中心としたプログラム。カップリングにリヒャルト・シュトラウスの作品が折り込まれていたが、本日初めに演奏された《本日のニュース》序曲は、ヒトラーが聴いて激怒したオペラからの作品でヒンデミットナチスに圧力をかけられたり、「頽廃芸術」と批判される最初のきっかけともなった曲であり、その当時、リヒャルトはと言えばナチスの芸術監督みたいなポストについていたわけだから「なんだか深いなあ」と思わせる構成になっている。いつもはあんまり読むところがない演奏会の冊子も片山杜秀による「日本の作曲家とヒンデミットの関係」についての読み応えがある記事が掲載されていた。「ささのはさらさら〜」という歌い出しの超絶有名曲「たなばたさま」の作曲家はヒンデミットの弟子だったんだって(へえ〜)。ウィーン・フィルが初来日したときの指揮者はヒンデミットだったんだって(へえ〜)。


 しかし、肝心のヒンデミットの演奏のほうはなんだか微妙な出来なのであった。下野竜也が振るヒンデミットを聴くのは初めてだったけれども、もしかしてこの人の芸風とヒンデミットの作風というのが徹底的に食い合わせが悪いんじゃないか、と不安になる。新即物主義の代表、と言われるぐらいだから、ヒンデミットってクールなイメージがあるじゃないですか。テンポをあんまり揺らさず、クールに演奏しきることがひとつの様式美、っつーか。でも、下野竜也ヒンデミットは違うのね。メインに演奏された《ウェーバーの主題による交響的変容》も、同じ旋律が繰り返されるところがあったらちょっとずつストリンジェンドしていく感じ。それが効果的なら良かったんだけれど、ヒンデミットの場合、単に落ち着かない演奏に聴こえてしまう。全体的に上手く整理できていない感じがし、第3楽章後半のフルートの長いソロにいたっては「半拍、ズレてない?」と思って聴いていた。あ、でもこの曲の肝のひとつである第2楽章のジャズ・フーガは、キマっていたので良かった。


 本日のハイライトはなんといってもリヒャルトのホルン協奏曲第2番のソリスト、バボラーク! 世界最高峰のオーケストラのソロ・ホルン奏者のポストを総なめにした、当代きっての超一流ホルン奏者……ということは知っていたんですが、初めて生で聴いてビックリしましたよ。音、キレイすぎ。速いパッセージの音の並びは、まるで木管楽器を聴いているかのような滑らかさ。いやあ、テクニックだけで人を幸せにする人っているんだな……と思いました。「世界一」って呼ばれる人のすごみ、っつーか。彼と一緒に演奏しなくてはならないホルン奏者がかわいそうになるぐらい上手かった。しかもまだ30代前半ですよ。金管楽器奏者のピークがいつくるのかわかりませんけれど、彼の演奏に触れる機会はこれからまだまだあるだろ〜、ってことで長生きしたいと思いました。


 あと《メタモルフォーゼン》の演奏も良かった。この曲もホルン協奏曲第2番も、リヒャルトの最晩年、80歳を過ぎてからの作品ですが、この人の作品にある美しさってどこまでも世俗的な気がしました。そこが良いんだよね。《4つの最後の歌》までくると棺桶に片脚突っ込んでる感じがしますけれど、若いときから「天才だ」「神童だ」ってチヤホヤされてブイブイやってきた人じゃないですか、リヒャルトって。そういう人が晩年にちょっとした不遇を味わっていたとしても、簡単にめげたりしないよねえ、と思った。《メタモルフォーゼン》にしても、ちょっとダウナーな雰囲気があるとはいえ、途中ですごく牧歌的に感じる部分があったりして良い曲だなあ〜、と思う。