菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール『記憶喪失学』
菊地成孔の新譜を聴く。これはもう大名盤。オーケストラが演奏する無調から一気にサックスによるテーマへと流れ込んでいく一曲目の導入部からしてもう背筋が凍りつくようなほどの美しさであり、これ以上隠微な音楽は音楽史上を振り返っても他にアルバン・ベルクの歌曲か晩年のマーラーが書いたアダージョぐらいしか思いつかない。とにかく素晴らしい作品で、菊地成孔の雑多/多彩なディスコグラフィ中においても「最高傑作」として推薦できる。
楽曲では、菊地とともにオリジナル作品の作曲者として名前が記されている中島ノブユキによる「ソニア・ブラガ事件」が最高だ――ジョン・アダムズのセンスをもっと性的に、ファッショナブルに教育しなおしたよう。ポップ・ミュージックを称しながら、ここまでしっかりとしたコンポジションを聴かせるのはちょっと異例な気がするぐらいで、天国のフランク・ザッパが嫉妬で狂いそうな作品である。菊地の筆による作品はこれよりもずっと演奏的/即興的に響き、このコントラストも興味深い。
尚、この作品は「映画」をテーマとして取り上げており、さまざまな映画のサウンドトラックをカヴァーもアルバムに収録されている。ここで登場する映画をいずれも観たことはないが、それら楽曲は映画音楽がジョン・ウィリアムズ的なケバケバしい荘厳さによって嘘っぽく塗り固められる前のセンスで作られているように感じられる――しつこいほどにポルタメントをかけたストリングスの演奏は、今ではもう失われてしまった映画音楽特有の甘ったるさの再現として聴くことができた。