ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』を読む #1
公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究posted with amazlet at 09.09.01
今年八十歳になられたフランクフルト学派の長老、ユルゲン・ハーバーマスの代表作のひとつ、『公共性の構造転換(1962/1990)』を読んでいます。これが結構面白い。せっかくなので久しぶりに章ごとに分けて、自分なりのマトメをブログで連載してみたいと思います。興味がある方はお付き合いください(私のことを『マトメ亭』と読んでくださっても構いませんよ!)。ひとまず、これがどういった著作なのか『ハーバーマス―コミュニケーション行為 (現代思想の冒険者たちSelect)』の「主要著作ダイジェスト」から引用してみます。
この書のテーマは、市民的公共性の自由主義的モデルの成立と、社会(福祉)国家におけるその変貌である。十八・十九世紀に、フランス社交界のサロンで、イギリスのコーヒー・ハウス(喫茶店)で、ドイツの読書サークルで、自律的に文化的・政治的な討議を行う「市民的公共性」が発達し、政府当局に統制された公共性と対抗していた。しかし、十九世紀の末には自由主義の時代は終わりを告げ、国家が計画、分配、管理という形で社会運営に干渉してくるようになり、市民たちはそのクライアント(顧客)と化す。文化を論議する公衆は、公共性なしに論議する少数の専門家と、文化を一方的に受容し、消費するのみの大衆へと分裂する。またこの社会国家において、民主的意思形成は、コミュニケーション行為による社会統合(普遍主義)に向かうのでなく、各人が社会的生産物を均等に獲得するための道具(普遍化された特殊主義)として機能するにすぎない。
私もまだ全部読んでいないので「ほうほう……」という感じですが、第一章「序論 市民的公共性の一類型の序論的区画」(なんと四角ばったタイトル!)は、引用にもある「市民的公共性の自由主義的モデルの成立」の分析に入る前に、「そもそも公共とか、公的ってどういうことなんだろうね?」という根本的なところから分析を始めています。こういうのは、大変オーソドックスな議論の進め方で読んでいて安心しますね。こういう人は前戯もマメそうだ!
(左。前戯がマメそうなハーバーマス先生のお顔)そこでハーバーマスは、公的なものと私的なものの区別がどのような変遷を辿ったのかギリシャ時代までさかのぼって見ていっています。「(公的なものと私的なものとの区別は)もともとギリシァに発し、今日までローマ的形態で伝えられてきたカテゴリーなのである。ギリシァの円熟した都市国家では、自由な市民たちに共同な国家の生活圏は、各個人に固有な家の生活圏から劃然と区分されている。公的生活は市民の広場で演ぜられ、決して地域に結びついたものではない(P.13)」。このあたりのお話は、ハンナ・アーレントの『人間の条件(1959)』から借りてきたものでしょうか。
ギリシャにおいては「私的な空間=家」であり、それは経済の単位でもありました。そこでは経済が奴隷制度によって支えられた家の運営のなかで完結しており、このため、経済活動は「公的な空間」に入り込む余地がありませんでした。だからギリシャ市民にとっては、公的空間とは対話をしたり、対等な立場の人々同士の共同な活動をしたりする場として現れたのです*1。
しかし、このようなユートピア的な公共性は、ヨーロッパの中世になると「慣用的ではあったが、実効はこれに伴わなかった(P.16)」ものとなっていきます。王様や領主の権利が公共の場にも侵入し、公私の劃然とした区別があいまいになってしまったのですね。公共の場に私的な利害が入り込むことによって「公なるもの」としてまとめられていたものも、次第に「意味」が枝分かれし、それぞれ異なった言葉が当てはめられていきました(例えば、『公有化』は領主のために押収することを意味していました。P.17)。
中世盛期にはこういった特権性を、公的に表現する、ということが盛んに行われていたようです。これをハーバーマスは「代表的具現」と呼んでいます(註によれば、カール・シュミットから借りてきた概念の模様)。無理やり名詞に置き換えていて、そのままだと一体どういった行為を指し示しているのかさっぱりわかりませんので、少し説明しておきますと、これは公衆の前で特権性を持つものが特権的な振る舞いをおこなうことによって、その特権性を国民や領民などに納得させる(不可視の特権性を、可視化する)行為だったそうです。公衆の前で、そういった特権的な振る舞いを行うことによって、見ている側には「うわ〜、やっぱりウチの領主さまは得の高い人だっぺ〜」というのが植えつけられるわけです。当時のヨーロッパでは盛んに「騎士合戦の模像である武技」が公開されていたようですが、これも代表的具現として捉えられます(P.19)。
しかし、中世におけるこのような公共性も、バロック様式が流行した時代になるとまた変容したようです。「武技、舞踏、観劇は、公共の広場から庭園の囲いの中へ、街頭から居城の広間の中へ引きこもっていく(P.21)」のです。そこでは宮廷生活というものが、外界から遮蔽された空間においておこなわれるようになります。しかし、宮廷の建物は公衆が観覧できるように設計されており、閉じつつ、開く(閉じながら、代表的具現がおこなわれる)ものだったそうです。一方この頃(一七世紀中ごろ)、市民の中にもそういった宮廷生活の真似事をする輩もでてきました。ここで初めて、完全な排他性、閉じた空間ができるのですね。「社交界」の成立です。これは一八世紀にも受け継がれ、「上流社会」の生活圏の基盤となります(P.22)。「ここではじめて、特殊近代的意味における私的生活圏と公的生活圏とが分かれていくのである(同)」。
以上が第一章の第一節「出発点の問い」、第二節「代表的具現の公共性の類型について」です。蛇足ですが、この代表的具現あたりの流れはミシェル・フーコーの『監獄の誕生―監視と処罰(1975)』を思い出させますね。フーコーが指摘するところでも「権力」を公衆の前に示すために、見世物的にひどい刑罰がおこなわれたのでした。「市民的公共性の成立史によせて」と題された第三節では、一三世紀からの初期の金融・商業資本主義の歴史を紐解きながら、いよいよ市民的公共性の成立の分析に入っていきます。
ハーバーマスがまとめているところによれば、ヨーロッパで商業が活発になったのは「遠隔地交易」が活発になってからだそうです。それ以前は、ギルドやツンフトの力が各都市のなかで強大だったため、初期の資本主義は保守的にならざるを得なかった、とハーバーマスはまとめています(P.26-27)。それが遠隔地交易が始まって、離れた場所と場所がつながることによって、集結し、組合の力が及ばないところで新たな市場が成立します。そこでは同時に金融技術も発達していきます(証書や手形の取引所が作られる)。
「この交易は、たしかに政治権力によっても操作される規則に従って発達するのであるが、それがくりひろげる広範囲の水平的な経済的依存関係の網の目は、もはや原理的には、閉じた家産経済の諸形態にもとづく垂直的な支配身分的体系の従属関係には組みこまれえなくなる(P.27)」ということです。つまりは市場の発展によって、ギリシャ的な「家=経済の単位」という考えが成立できなくなっていくのですね。少し先取りしますが、ハーバーマスは「近代的経済は、もはや家を基準とせず、家の代りに市場が登場してきた(P.31)」とも言っています。
また、このような交易の発達とともに、情報の流通もまた活発になったのでした。一四世紀以来すでに手紙による商業的な情報交換は作り上げられていましたが、しかし、それらは商人たちの内輪のものに過ぎず(大事な情報なので、公開するわけにはいかなかったのですね)、広がりを持ちませんでした。公共的な情報の流布(≒新聞の誕生)がはじまるには、一七世紀末まで待たねばなりません(P.28)。
で、これらの商業の発展が重商主義の局面にいたったころ、「国民的・領邦敵経済が近代国家と同時に形成されて(同)」いきます。この近代国家の成立は、公共圏のなかに新たな波紋を呼び起こします。それ以前は、権力を持つものである主権者(王様であったり、領主であったり)が絶大な権力を持つものだったのに対して、近代国家においてはそのシステムそのものに「公権力」が認められるのです。国王の人格ではなく、課税をしたり、軍隊を率いたり、外交をしたり、というシステムに権力が与えられる、と。このとき「『公的』という属性は、権威をそなえた人物をとりまく具現的な『宮廷』にかかわるものではなく、むしろ合法的実力行使を独占する装置の、職権に従って規制された運営にかかわることになる(P.30)」。そして、この公権力のもとで、民間人が公衆を形成するのです。さらには、この公衆が「政府の対応物としての市民社会(P.31)」を形成するのですね。
この市民社会の誕生のなかで、さきほども触れました「新聞」が非常に重要な意味を持つようになります。このとき、新聞によって市民社会に提供されるものは、商業的に重要でない情報であったり、政府の重要な情報ではありませんでした。ハーバーマスはこのような重要でない情報を「利用できる情報資料の残りかす」と呼んでいます(P.32)。しかし、なぜだか市民社会にこの残りかすが商品として通用してしまった。この不思議な事実の成立によって、情報の残りかすを売る新聞産業は盛り上がっていきます。
同時的に、政府もまた新聞という道具を利用するようになっています。政府が市民に向けて発行した新聞には、君主の旅行などの知らせや、お祭りなどの情報が掲載され、ハーバーマスはこれを「具現的公共性(公共的具現)から新しい形態における公共性への一種の転化形態としてとらえることができる」と言っています(P.33)。そのような政府からの情報は名目的にはすべての市民に対して発行されます。しかし、現実的にはせいぜい「教養ある身分」にしか届かない(P.34)。ただ、この教養ある身分(ブルジョワ層です)たちに情報が届いたことによって、世論が形成されるようになり、市民社会は政府を判断する性格を持ち始めるのです。
マトメの割には、細かく見すぎてしまった感がありますが、以上が第一章でした。
*1:以上の説明は『今こそアーレントを読み直す』に大きく寄りかかっています