ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』を読む #2
公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究posted with amazlet at 09.09.01
本日は第二章「公共性の社会構造」について見ていきます。前章まででハーバーマスは、さまざまな歴史的な変化によって、市民が生まれ、それが世論を形成するなどし「市民的公共性」が生まれてていく過程を確認しました。第二章の冒頭、第四節「基本構図」では、その市民的公共性が、政府によって規制されてきた公共性(公権力の力)に対抗する生活圏であったことが強調されています(P.46)。これは、君主がいて、政府(あるいは議会)がいて、という二つの権力が存在したなかに、第三の身分(権力)として現れたものでした。
ただ、これらの第三の身分は、既存の身分が用意してくれたインフラがなければ、存在がしえないものでもあります。わかりやすい例で言えば、軍隊や警察がいて治安が統制されていなければ、市民たちも安心して商売ができませんものね。よって、市民たちの要求とは支配を求めるものではなかった、とハーバーマスは言います。「彼らが公権力に対してつきつける権利要求は、集中しすぎた支配権を『分割』せよというのではなく、むしろ既存の支配の原理を掘りくずそうとするのである(P.47)」。ここで市民が権力を奪取する、のではなく、公権力を監査する原理が働き、公権力に対しての公開性が求められていくのです*1。
さて、ここまでハーバーマスは市民的公共性の成立までを見ていきましたが、成立以降、成熟までの具体的な分析はまだおこなっていませんでした。この分析については、第五節「公共性の制度(施設)」でおこなわれています。この節がとても有名な「コーヒー・ショップでの議論が公共性を云々」についての分析になります。ハーバーマスはここで、一七・十八世紀イギリス、フランス、ドイツにおける「憩いの場(議論などがなされる場所)」の歴史的な資料をみていくのですが、その場における特徴を簡単にまとめてみますと、以下の二点があげられるかと思います。
- 知識人(=貴族などの特権階級)も市民もお店に来ていた
- 特権階級より市民の方が金を持ってたり、良い暮らしをしてたりしたが、権力や経済力に関係なく、誰の意見も平等だった
「ここで市民たちは、社会的ヒエラルヒーの境界をこえて、社会的名誉はあるが政治的には実力のない貴族たちと、『単なる』人間として会合するのである(P.54)」のです。そして、次第にその場では「社会的地位を度外視するような社交様式(P.56)」を要求されはじめるのですが、これは後述される「フマニテート(人間形成)」にも大きく関係していると言えましょう。
また、その場における討論の議題が、政治的な領域に限らず、哲学・芸術・文学といった文化的な領域についてもおこなわれていたことをハーバーマスは重要視します。なぜなら、市民的公共性の誕生以前の社会においては、これらの文化は、特定の知識人階級に独占されてきたものであったからです(同)。文化が知識人階級に向けてではなく、市場に開放されたのもこれと前後します。このことは文化の意味の変容をも意味しているのです。「それらはもはや、教会や宮廷の公共性の代表的具現の構成要素ではなくなる(P.56-57)」のですね。
そして、この文化の商品としての流通は、公衆の集まりをも変容させていきます。市民的公共性といってもその生活圏が、すべてひとつの集合体であったわけではありません。その生活圏のなかでも無数のサークルが存在していたわけです。それらのサークルは互いに排他的な性格も持ち合わせていました。「あのサークルのヤツらは下品だ」とか「あのサークルのヤツらは気取ってる」とか罵りあったりして(こういうのは、マルセル・プルーストを思い出させますね)。しかし、個々の集まりが排他的である一方、彼らは文化という共通の基盤を持っていたのでした。これによって「最初の幾世代かの公衆は、特定成員のサークルという形態で成立した場合にも、いっそう大きな公衆のただなかにいることを自覚していた(P.57)」のです。
第五節の後半は、こういった文化の流通のなかから批評が生まれ、一種の規範が生まれていく過程についても触れられていますが、これまでまとめた内容と根本的な部分では重なっていますので割愛します。このあたりの歴史記述の拾い方が結構面白いので気になる方は、ご自分でご確認ください。
さて、ここからは第六節「市民的家族 公衆に関わる私生活の制度化」のマトメに入っていきます。経済の発展により、経済が家という単位には収まりきらなくなってしまったことは前章で見たとおりです。このとき、家(=私的領域)のなかにはどういった変化が訪れたのでしょうか。この節では、ハーバーマスはその変化について分析をおこないました。
まず、ハーバーマスが注目しているのは、家の建築的な変化についてでした。イギリスでは十七世紀にすでに市民化の兆候があったそうですが、当時のイギリスの住宅は、家族が団らんする広間はどんどん縮小され、その代わり、家族成員のための個室は広くなっていく傾向にあったそうです(P.66)。この傾向は十八世紀になると他のヨーロッパ諸国でも見られるようになりました。そして、上流階級の住宅には、住宅のなかでもっとも重要な部屋として「客間」が用意されるのです。以上の変化は、個々の家族成員の「私生活圏」が一層セグメント化される一方で、家のなかにも「公共圏」が侵入していく例である、とハーバーマスは見ています(P.66)。
それでは、家のなかにも喫茶店とまったく同じような公共圏ができたのでしょうか? ここでハーバーマスはそのようには見ていないようです。むしろ、家のなかのサロン的な生活圏は、喫茶店における「政治的・経済的開放」に対応する「心理的開放の場である(同)」としてハーバーマスは位置づけています。また、個々の家族成員の私生活圏の細分化(=家族の代表として、その圏を司る家長がいるのではなく、家族の中にそれぞれの成員が独立して存在する状況)は、「市場における財産所有者たちの自律性(同)」に対応しているというのです。もちろん実際には、経済的に家庭を司っている家長に対する従属関係はあるわけですが、ここで家族成員の自律性が表現されることによって、私生活圏と市民的公共圏という二つの領域において「自由意志をもち、誰もが平等であるような主体」が目指されるフマニテートが立ち上ったのでした。
第六節末のあたり(P.69-72)ではこのフマニテートと文芸との関係が紐解かれるのですが、このあたりの分析も大変面白く読みました。ちょうどこのとき「書簡体小説」が流行し、家族の間でも自分の内面を吐露するような手紙のやり取りをする風習があったことをハーバーマスは取り上げています。他者に対して心情を打ち明ける手紙を書く。この行為は、他者が私の心情を理解してくれるはずだ、という前提があってこそおこなわれるわけです。つまり、私とあなたは同じ主体性を持った人間である、ということがそこでは意識されているのです。また、この行為をおこなうことによって「自らの内面を観察する」という意味も発生します。手紙を書くことが他者主体化と自己客体化に向いているという指摘は、ハーバーマスのコミュニケーション論にも何か絡んでくるのでしょうか(読んでないから知らないですけれど)。
で、ここから第七節「文芸的公共性と政治的公共性との関係」に入っていくわけですが、ここでのお話は「自由」や「平等」が理想とされ、文芸的なフマニテートが一旦形成された後に、公権力と市民的公共性はどのように戦っていたのかの分析です。が、そんなに大したことは書いてありません。ハーバーマスがここで取り上げているのは、法哲学における議論(ホッブス→モンテスキューのような流れ)ですが、「自由」や「平等」が理想とされ、さらに身近に実感できるものとなった市民的公共性が、絶対的な公権力が一方的に下す御触れ書のようなものよりも、みんなが納得できるような法律を求め、そしてそのような法律を正当だと感じるのは当然のことでありましょう。
以上が第二章のマトメになります。
*1:このことは第七節でも確認されます