純真無垢なる戦士、怪人アスタカの個人的闘争(二)
M山K三郎が怪人アスタカの出生について語ること
怪人アスタカが生を受けた、明日原家について詳しく知りたいのであれば近藤雅明著『たったひとりで千葉島を黙らせた男』をご覧になるのがよろしいだろう。そこでは怪人アスタカの父であり、先代の明日原財閥当主であった、二代目明日原総一郎が関東地獄地震後の混乱とその後の千葉島独立紛争でみせた活躍のほかに、明日原財閥が明治時代に大分県の畜産農家から財閥へと成長するまでの過程が詳細に述べられている。したがって、ここでは詳細を省かせていただきたい。そもそも前掲書は、何を隠そう私の変名によって書かれたものなのだ。同じ内容を二度繰返して書く苦痛について、読者の皆様方はご存知かどうかはわからないが、そのあたりの複雑な心情については察していただきたいものだ。
1983年1月28日、東京都内の病院で怪人アスタカは生まれた。明日原財閥の次代を継ぐものとして。星の周りは水瓶座となり、守護惑星は土星となる。ここで初めて彼の生年月日を知った方ならば、おそらくこの生まれについて驚くに違いない。この星まわりはあまりにも怪人アスタカという人物に相応しくないからだ。二一世紀のインドラの化身とも言われる怪人アスタカには土星よりも火星が相応しい――なんと言っても火星は、戦争の神マルスが司る惑星である。また、星座についても獅子座か、十二星座には含まれていないのを承知しながら、オリオン座かペルセウス座が相応しいものとしてあげられよう。ついこないだも「どこか遠く、ここではないどこかへ行きたいの……」と嘆く一六歳の少女に自慢のアスタカ・キックをお見舞いし、文字通り、魂をどこか遠くの霊界運んでしまった、というニュースが入ってきた。少女の上半身と下半身を切断し、八番目と一七番目の脊椎骨はいまだ捜索中とのことである。このように身体全域において、闘争心に包まれているような男が水瓶座であることは、星占いがあてにならないものであることの証明にもなるかもしれない。
歴史上の偉人や天才たちについて伝えられているように、怪人アスタカの出生時にまつわる伝説的逸話というものが何一つ存在していないこともまた、奇妙なことかもしれない。例えば、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが母親の胎内に二二ヶ月も宿り続け、そして生誕の瞬間に「Musica!」という産声をあげただとか、そういったエピソードによって怪人アシタカの生誕が彩られたわけではなかった。1983年1月28日、午前2時54分に怪人アシタカは母親である明日原早智子の産道を通って、三人の看護婦と一人の医師に見守られながら産声をあげた。