sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

純真無垢なる戦士、怪人アスタカの個人的闘争(一)

語り手であるM山K三郎が怪人アスタカについて語り始めること


 これから読者諸氏の前に語り伝えようとする男、怪人アスタカについてごく凡庸にデイヴィッド・カッパーフィールド式に語り始めることが果たして適切なことかどうかはわからない。しかし、今後私がどのように彼について語ろうとも、その語りが過去に起こった事実とその語りが一致することは起こり得ないのだから、何を言ってもはじまらないこともあり得る。
 いきなり何を、とお思いの方がいるかもしれない。それらの疑問に答えるために、ジャン=リュック・ド・モンモンランシーの言葉を引用しておこう。第二期アナール学派の異端児とも言われるこの歴史家は、ルイ六世の偉業についてまとめた戦後のフランス歴史学界を代表する著作《純真無垢なる肥満王、ルイ六世の個人的戦争》の序文に以下の言葉を綴っている――「我々が事実として聞いたり、読んだりするものの多くは広い意味で言えば虚構に過ぎない」。まさにそのとおりである。我々が体験した出来事を人に伝える際、我々はごく自然に、聞き手が理解できるように事実をかいつまんで話そうとする。
 ド・モンモンランシーが虚構であると指摘するのは、そこに何らかのフィクション性が含まれてしまうからだった。彼は歴史学という学問にも同様のフィクション性を見出した。その仕事がいかに優れたものであっても、それは厳密に言ってフィクション性をまぬがれることができない。なぜなら歴史学的な記述とは、歴史家が見たり、聞いたりした事実でもなければ、そこで起こった事実そのもの、《剥き出しの事実》でもないからである。記述と事実は一致しない。これは言葉遊びでもなんでもなく、我々が生きる世界そのものを表した言葉であろう。この意味で、我々が聞く語りとは極めて限定的なものにならざるを得ない。しかしながら、ド・モンモンランシーはそこで歴史学の限界を感じ、その学問を捨てようとしたわけではなかった。むしろ、その記述が限定的なものであるこそ、彼は歴史学に取り組んだのである。
 よく知られているように、彼は歴史学的記述をある種の遊戯性と接続したことによって、戦後のフランス歴史学界に新たな光明をもたらした。「私が最も影響を受けた歴史家とは、ラブレーのことです」(一九七五年『ル・フィガロ』紙のインタヴューより)。さしあたって私が怪人アシタカの生まれから語り始めるのに、ド・モンモンランシーの影響があったわけではないし、もしかすると、語りはじめる前に以上のことを語ることなどは時間の無駄なのかもしれない(私の真意が読者に伝わる保証などどこにもない)。しかしながら、どのような語りであっても私の語りが真実に到達することはない、という点についてはわかっていただきたいのである。

読者のみなさまへ
このほんを読まれる、親愛なる読者よ
あらゆる先入観を捨て去りなさい。
本書を読んで、つまずいてはなりません。
正直なところ、ここで学ぶものといったら、
笑いをのぞけば、ほかに利点はございません。
わたしの心は、それ以外の主題など選ぶことはできません。
あなたがたを憔悴させ、やつれさせている苦しみを見るにつけても、
涙よりも、笑いを描くほうがましなのです。
なにしろ笑いとは、人間の本性なのですから。
(フランソワ・ラブレー『ガルガンチュア』宮下志朗訳)