sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

21世紀のノスタルジックマン

 あなたは牢屋に入れられたという経験をお持ちだろうか。私はと言えば、たった一度だけそのような経験がある。正確に言えば、牢屋ではなく留置所だったが。そこはとても居心地の悪い場所だった。私よりも20センチは背の高い警官(おそらく柔道2段は確実の屈強そうな男だった)に促されて入ったその場所で私は「こんなところに入れられたら悪いことをしていなくても自供をしてしまいそうだ」と思った。
 警察署の建物の日当たりが悪いところに留置所は置かれていて、一面コンクリートで出来た床と壁は夏でもひんやりとしていそうに見えるのだが、コンクリート製だと思われた床と壁は、実はコンクリートではなく、一見いかにもコンクリートで来ているように見える実に精巧にできた偽コンクリートであった。感触は硬いコンクリートのそれではなく、なんだかぶよぶよしている。内部へと足を踏み入れると生肉に触れたような感覚がスニーカー越しに伝わってくるので驚いた。そして、妙に生暖かい。
 一体その偽コンクリートが何で作られているのか、今になっても分からないがとにかく不気味でしかたがなかった。生まれたての新生児の頭を踏みつけたらこんな感じなのではないか、と私は留置所のなかで想像した。実際にそんな恐ろしいことをしたことはないが。ひょっとしたら本当に生肉だったのかもしれない。
 あんなところには二度と行くものではない。あなたも行くことがないよう気をつけたほうがよろしい。


 ところで、なぜ善良な市民であり、ちゃんと漏らさず税金も年金も払っている真面目一筋の会社員であるところの私がそんな不気味なところへ入れられたのかといえば、これも不思議な話である。


 そのとき私はちょうど夏休みで実家に帰っているところだった。しかし、折角実家に帰ったと言っても、やることは特にない。実家がある土地はとても田舎である。遊ぶところもない。会うべき旧友などもいなかった。暇を持て余していた私は、電車で2駅のところにある温泉街を散歩しようと思い立った。。
 「電車」というと、あなたは都内にあるような電車を想像するだろうが、あのように長く列をなした電車は私の感覚からすれば「電車」というより「列車」とでも言うべきものである。私の地元を走る電車はたったの2両編成。朝夕を除けば1時間に1本も駅に着かない大変貧相なものだ――平日の昼間になれば、元気過ぎる老人と学校を早引きした高校生ぐらいしか乗客はいない。
 その電車に乗って2駅、終点の「飯坂温泉駅」を出るとすぐに、かつての隆盛がいまや見る影もない寂れた温泉街の風景が目に入ってくる。実のところ、近所にもかかわらずそこを散歩したのはその日が初めてだった。
 何か用事があるでもなく、シャッターを降ろした店ばかりの温泉街をふらふら歩くのはなかなか興味をそそるものだった。火事があって全焼してしまった旅館が幽霊屋敷のように川辺に佇んでいるのは超現実的であるように思えたし(火事があったとき、私はまだ小学生だったと思う。宴会中の宿泊客が6人も焼け死んだ大事件だった)、辛うじて経営を続けているホテル「聚楽」に併設されたボウリング場の前を通りかかったときは、祖父に連れられて初めてボウリングをしたことなどを思い出した(あのとき、祖父は15ポンドもあるボールをレーンの中ほどまで転がさずに「投げて」見せた。いまやベッドに臥せてばかりの祖父にはその力強さは残されていない)。ノスタルジックな気分のままになんとなく入ってみた定食屋で食べた生姜焼きの不味さには閉口させられたが……。


 ゴムを噛むような気分で生姜焼きを食べ終えた私は、幻滅するのを承知の上で昼間からショッキングピンクのネオンサインを輝かせたストリップ劇場を覗いてから家に帰ろうと思っていた。温泉街にはストリップと射的屋がつきものだが、それらはやはりこの飯坂温泉にも残っていた――ストリップと射的屋はかつて歓楽街として栄えた温泉街の証跡を残す遺跡のようなものなのだ。聞くところによれば、そこには萎びた乳をヘソの辺りまでまで垂らした老婆が現役の踊り子として舞台に上がっていると言うではないか。噂にあがる悪夢のような光景を一度は観てみたい、ショッキングピンクのネオンサインがその灯りを消してしまう前に……とは以前から思い描いていたことだった。
 しかし、件の酷い定食屋を出たところで私の目に入ったのは一軒の古本屋だった。屋号がほとんど消えかかった看板は、いかにも客がいないという雰囲気を醸し出していたのだが、こういった店を見つけるとつい「もしかしたら掘り出し物があるかもしれない」という淡い期待を抱いてしまう。期待に沿うような結果が得られたことは一度としてないのだが、その日も誘われるようにして古本屋に足を踏み入れたのだ。


 ■


 埃と黴の匂いが混じった店内には店番をする人もいなかった。
 まず目に入ったのは、ビニール紐で束ねられ無造作に置かれた筑摩の古い文学全集だ。しかし、そこに興味の沸く余地はない。読みたいものはすでに神保町の古本屋で1冊100円で手に入れていたし、第一汚すぎた。背表紙が赤い箱入りの全集セットを束ねたビニール紐は茶色く変色し、紐で隠されていない部分もくっきりとビキニを着たあとのように日焼けしている。これを10冊3000円と言ったら、ぼったくりにも程がある。他にあるのは、20年以上前に刊行されたと思わしき、料理本やゴルフの指南書といったものばかり。レコードも少し置いてあったが、すべて歌謡曲の、それも知らない歌手ばかりで見る気にもならなかった。
 私は(いつものように)淡い期待を裏切られた思いを胸にしながら、振り返って店を出ようとした。すると、さっき自分が入ってきた入り口の上に、演歌歌手のポスターと並べられて一枚のレコードが飾られているのに気がついた。赤い顔をした男が大きく目を見開いて苦悶の表情を浮かべているそのジャケットは少し色あせたように見えるが見間違えようがない。キング・クリムゾンの69年のファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』だった。
「なぜ、こんなところに『宮殿』が?」
 驚いた私は再度振り返って店の奥に声をかけた。
 店内は民家の茶の間と繋がっているようだった。出てきたのは、腰の曲がった老婆である。しかし、その外見は異様なほど派手だった。髪型は田舎の老女らしくクルクルと巻き上がったパーマだったが、金色に染め上げられている。着ているものといえば、真紅のビロード地のシャツとパンツ。ドリフの雷様コントを思い出さずにはいられない姿で現れた老婆に私は噴出しそうになったが、なんとか堪えてレコードのことを尋ねた。
「ああ、あのレコードがい?あれは、この店がでぎでばっがりのとぎに誰がが売りに来たんだあ。だけど変な絵が描いてあっがらあ、誰も買わね。あんまり売れねがら飾っどいてんのよお」
 店の老婆はひどい訛りで私に答えた。老婆の言っていることを標準語にしてみると次のようになるだろう。

ああ、あのレコードのことですか?あれは、この店ができてばかりの頃に誰かが売りに来たんですよ。けれども、変な絵が描いてあるせいか、誰も買わなかったんですよ。あまりにも売れないので飾ってあるのです。

「あれはまだ売り物ですか?できれば、少し見せてもらいたいのですが」
 私の言葉は自然に、綺麗な標準語となっていた。無意識だったがこの近所に住んでいた人間だということを悟られたくなかったのかもしれない。
「かまねげどもぉ。あんだ、東京のひどがい?なんだって、こだもの気にすんだ?(構わないですよ。お客さん、東京の人ですか?なんだて、こんなもの気にするんですか?)」
 老婆はそういいながら椅子に登ってレコードを壁からはずし、埃を払って私に手渡した。そこで私が驚かされたのは、そのレコードがなんと正真正銘のUKオリジナル盤だったことである――ピンクの背景に白の「i」(アイランドのレーベル・マーク)のレコード・ラベルに書かれた番号は「ILPS9111」。間違いない。何の因果か知らないが、こんな古本屋でものすごい宝物に出会ってしまった。
 背中からどっと冷や汗が出るのを感じながら「これ、いくらですか?」と老婆に尋ねると「800円」と老婆は言うので、さらに驚きはやまなかった。アナログのプレーヤーを持っていなくても、これは間違いなく買っておくべきだ。売ってしまっても3万円ぐらいになるだろう……。


 なんの色気もない白いビニール袋へレコードを入れてもらい、店をでたときには既に日は傾きかけていた。山のほうからはすでに涼しい風が吹き始めているのを肌に感じ、温泉街のなかを走る川に、赤く染まりかかった太陽の光がてらてらと反射しているのを見ながら、「温泉浴びて、帰るか」と思いつつほくほくとした表情で私は駅の方向へと歩き出した。
「ちょっと、そこのにいちゃん」
 後ろから呼び止められたのは、そのときである。振り返るとそこには背が低く、あばた面の中年警官が白い自転車に乗って立っていた。


 ■


「あんだ、見ね顔だない。どごの人だい?こっちの人じゃねべ(君、この辺ではあまり見ない顔だね。どこに住んでるの?こっちの人じゃないでしょう)」
 と警官が言うのに対して、私は「ええ」とか「まあ」とか言って適当にお茶を濁していたのだが(もう『こっち』に住んでいないのだからそこには嘘はなかった)、警官の顔はどんどん険しいものになっていくのに私は恐ろしくなった。明らかに私に対してなにか嫌疑をかけているような表情である。
「なにかあったんですか」
 私が警官に尋ねると、警官は最近このあたりで若い女の人の変死体が見つかったから色々とパトロールをしているのだ、というようなことを言う。そこでなぜ私が職務質問を受けなくてはいけないのかよくわからなかったが、それはいかにも田舎風の思考回路なのだろう。「知らない顔を見つけたら、まず疑え」。田舎的人間においては、知った顔の範囲だけで世界が完結しているのである。
 警官は私が持っている荷物の中身をを見せろと言った。煩わしいと思いながらも、荷物のなかには財布と読んでいた本、それから買ったばかりのレコードぐらいしかない。これで疑いが晴れるなら……と思った私は、警官にビニール袋と肩掛けのカバンを手渡した。「ご協力感謝します」的な言葉をかけられて、おしまい。そんな風に私は楽観的に構えていたのだ――しかし、そう上手くはいかなかった。
「これ、なんだい?」
 バッグの中から一冊の文庫本を取り出した警官は、鋭いまなざしをきっとこちらに向けて言った。
「何、って本ですよ」
「そだごどはわかってんだ。何の本が、って訊いてんだ」
「『資本論』です。マルクスの」
 警官が私を訝しげに見る目がますますきつくなっていくのを感じながら答えると、警官はあろうことか「おめ、赤が!」とあらぬことを言う。私は呆然とする他なかった――事情がよく飲み込めぬ人のために言葉を補っておくと「おめ、赤が!」という警官の叫びは「お前は、共産党員か!」ということである。これは少なからず、共産党員に対する侮蔑的な意味合いを含むものであろう。
 次に警官が興味を示したのは、ビニール袋のなかのレコードである。
「なんだ、このおそろし絵描いてあるのは?これで決まったな、ちょっと署さ来い」
 ジャケットの赤い色合いが警官の脳内で共産主義と結びついていたのだろうか。なんだかよくわからないうちに私は任意同行を求められているのであった。なんということだろう。理不尽極まりない。それに警官が次第に高圧的な態度を示すのが気に食わなかった。
 もちろん、私は抗議した。「興味本位でマルクスを読んで何が悪いのか」、「そのレコードと共産主義はまったく関係ない」、「第一私は、元々こっちに住んでいた人間で今は夏休みで帰省しているだけだ。あなたが疑いをかけているような『よそもの』ではないのだ」と。しかし、警官は頑として私の抗議を受け付けない。


「『よそもの』じゃねんだったら、なんでそだ東京弁を話してるんだ。おめのその言葉が『よそもの』だって言ってるようなもんだべ!」


 こうして私は、パトカーに載せられて警察署に連行されることになったのである。


 ■


 留置所に先客がいたことに気がついたのは、薄暗い場所に漸く目が慣れてきたときである。ぶよぶよと気味の悪い感触の壁の隅っこにひとりの男が体育座りでうずくまっていた。見たところ男は、50歳ぐらい。体格はそれほど大きくなく、グンゼ感が漂う白い肌着に薄いベージュのスラックスを履いた、朝の公園がよく似合うような男である。いまだに自分がなぜ留置所にいれられているのかも上手く飲み込めていないのと同様、彼の風貌も留置所に似つかわしいものとは言えなかった。
「よう、新入り」
 私が男に気づくと、相手のほうから声をかけてきた。それはまるでこれから長い間、この留置所へと留まる者を迎えるようで、ますます私はやりきれない気持ちになっていったのだが、もし彼が予想を裏切るようにして凶悪な犯罪者かその類であったら恐ろしいので適当に挨拶を返すと、男は「そんなにびびらなくてもいいじゃねぇか」と言う。言葉の様子からすれば、どうも地元の人間ではないらしい。
「俺の名前はプリンス・ロジャーズ・ネルスン。もっとも今では『かつてプリンスと呼ばれた男』と言われているけどな」
 頼みもしないのに自己紹介を始めた男の話はなんとも奇妙なものであった。プリンス?あの黒人ミュージシャンの?――彼はどうみても日本人だったし、ミュージシャンにも見えない。私と同様、平凡な市民のように見える。それにとっくの昔にプリンスは、発音不能のアーティスト名から「プリンス」という名前に戻っていたし、誰もプリンスのことを「かつてプリンスと呼ばれた男」とは呼んでいなかった。妊婦のように膨らんだ男のだらしない肥満体型も(着ているものが肌着だったせいで、それは余計に目立っていた)、到底痺れるようなダンス向きのものではない――私はとっさに浮かんできた疑問を、残さず男にぶつけた。普段、知らない人に向かってそんな風に話しかけるタイプではないのだが、そのときは少し気持ちが昂揚していたのだろう。


「ははは。信じられないのも無理はない。しかし、俺は本物のプリンスなんだよ。ただ、黒人の、あんたらがよく知っているほうのプリンスも『本物のプリンス』だ。わかるか?まあ良い。少し説明してやろう。
 2001年9月11日、アメリカでテロが起こったことはあんたも覚えてるだろう。忘れられないよな、あんな大事件。あれはプリンス――つまり、俺のことでもあるんだが――にとって、大変ショッキングな事件だったんだ。ショックのあまり、プリンスは寝込んじまった。それも3日間も。その間に、プリンスの自我は分裂した。それほどショックだったんだな。だが、それだけじゃ事態の収拾はつかなかった。分裂したのは自我、つまり精神だけじゃない。肉体も分裂してしまったんだ。
 その結果に、登場したのが俺ってわけだ。これでわかったろ?」


 わかるはずがなかった。「つまり、プリンスは今この世界に2人存在しているっていうことですか?」と確認すると、自称プリンスの男は満足気に頷く。どうしても現実にそんなことがあるようには到底思われなかったが、彼が当初思っていたような普通の人ではなく、月の裏側に住む異界の人物であるような確信だけが私の中で強まっていった。
「まだ信じられないみたいだな。よし、証拠を見せてやろう」
 私の気持ちを察したのだろうか。男はそう言って立ち上がり、おもむろに準備運動のような動きをしたかと思うと、ファンク風のカッティング・ギターを模したものと思わしきオノマトペを口ずさみ、しきりに「アッ」だの「イェッ」だのといったまるで小動物の断末魔の叫びのごとき甲高い奇声をあげ、それほど広いわけではない留置所のなかで縦横無尽に踊り出すではないか。
 私はついに男が狂ったものと思い込み、声を上げて警官を呼んだのだが誰も来ない。こんな男と一緒に留置所にいれられるとは悪意があるようにしか思えない……こっちまで頭がおかしくなりそうだ……と私は思った。その間も男は、ぶよぶよとした床で反動をつけて高く飛び上がったり、ブレイクダンスのようにクルクルと回転をしたり、かと思うと急に動きをやめ爪先立ちで立ち、こちらに流し目を送りながらポーズを取ったりするなど忙しそうだった。男はそれが自分が本物のプリンスであることの証明であるように信じていたのだろうが、少なくとも私が知っているプリンスとはあまりにも距離が遠すぎた。それは悲惨といっても過言ではなかった。


「どうだ……?」
 一通り踊り終えた男は、ぜいぜいと息を切らしながら輝かしい笑顔を私に向けた。男の生え際が薄くなった額には、玉のような汗がいくつも浮かんでいる。それを見て、私は急激に複雑な気持ちへと追いやられてしまった。どうだ、と訊ねられても元よりどうもこうもないことは分かりきっている。にも関わらず、この男は自分をプリンスだと主張し続けているのだ。強固な信仰心にも似た、無垢な心の美しさがそこには存在しているのではないだろうか。「悲しいほどに美しい」と私は思った――そして、ついに私は彼をプリンスと認めたのだ。


(了)