sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

フランソワ・ラブレー『パンタグリュエル』(ガルガンチュアとパンタグリュエル)

 フワンソワ・ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の第二巻『パンタグリュエル』を読みました。巨人王ガルガンチュアの息子であるパンタグリュエルの物語が書かれたのは、実は第一巻の『ガルガンチュア』より先のことなんだけれど、話のつじつまが合わないところが何箇所かあって、このあたりに小説という形式が近代以前にもっていたゆるさみたいなものを感じました。昔の人が、(意識的にか無意識的にかわからないけれど)ラブレーが書いた破綻をどのように捉えたかわからないけれど、そういった綻びなど気にせず、ゆるやかに楽しんでたんじゃなかろうか。今私が読んでいるのだって、注釈がなければ綻びには気がつかないし。時代によって読み方/読まれ方の違いみたいなものはありそうな気もする。「伏線が回収されてないよ!」とか「話のつじつまがあってないよ!」と難癖をつける行為は、最近になって始まったことなんじゃないかと思う。
 『パンタグリュエル』もとにかく下ネタ満載でとても面白いのですが、パンタグリュエルの数々の遍歴がとてもスケールが大きくて良いです。この本のなかでパンタグリュエルはフランス中の大学をめぐってみたり、「のどからから人」の国を征服しに行ったりと大活躍をするのですが、パンタグリュエルの取り巻きたちも非常にユニークで、とくに戦争を描いた部分では騎士道小説のパロディみたいなところが楽しい。でも、戦争は大抵、パンタグリュエルのおしっことかおならとかで解決されちゃう(これは父の物語でもそう)。しかし、そのおっしこ大洪水は、聖書のノアの洪水が下敷きにされていて……っていう小2感とインテリ感の混合具合が、最高。
 今気がついたけど、この表紙のイラスト、ギュスターヴ・ドレが描いたものなんですね。岩波文庫の『ドン・キホーテ』の挿絵と同じだ。