イェイツの『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』を読む(原書で) #3
Giordano Bruno and the Hermetic Tradition (Routledge Classics)posted with amazlet at 11.08.12Frances Yates
Routledge
売り上げランキング: 36713
今回は、第1章の続き「初期キリスト教の教父たちはヘルメス・トリスメギストスをどのように扱っていたのか」について語っている部分からはじめます。イェイツは3世紀のラクタンティウスによって書かれたものと、4世紀のアウグスティヌスによって書かれたものをとりあげています。まずはラクタンティウスについて。ヘルメスという人物がたくさんの書物を残した偉大なエジプトの賢者である、という認識が生まれていたということについては前回見たとおりです。彼もまたこの認識を継承していて『信教提要(Institutes)』という本ではヘルメスについて何度も言及していたようです。彼はヘルメスを異教徒に対してキリスト教の真理を伝えるために有効なものとして考えたんだとか。
ラクタンティウスは『アスクレピウス』のなかにある「神の息子」という表現に着目し、神をキリスト教のように「父親」として捉え、キリストの到来を予言するものとして解釈していました。しかし、実際にはこの「神の息子」という表現はデミウルゴス(プラトンの『ティマイオス』にも出てくる言葉です。元来は『製作者』的な意味で『ティマイオス』においては世界を想像したものを指し示す言葉として扱われる)を表したものだったそうです。つまりは、ここでも誤読が発生しているのですね。また、この「神の息子」という言葉は『アスクレピウス』だけでなく『ポイマンドレス』という本でも登場し、そこでは世界を想像するための言葉を指し示す言葉という風になっている。こうした解釈によってラクタンティウスは、ヘルメスをキリストの到来を予言するものと見なしていた、とイェイツは言います。もともとこのラクタンティウスは異教徒に対して厳しく、偶像崇拝を批難し、また悪魔というものも堕天使たちによる魔法によって遣わされたものだ、という風に考えていたのですが、ヘルメスだけは特別だったようですね。キリスト教徒であり続けることを願ったルネサンスの魔術師たちがラクタンティウスを好ましい教父と考えたのも、こうした理由があった、というのがイェイツの説明です。
一方、アウグスティヌスのほうはそんなに単純ではありませんでした。彼は『神の国(De Civitate Dei)』のなかでヘルメスは偶像崇拝に関係している、として批難していたようです(そこでは『アスクレピウス』のなかに登場する、エジプト人がその魔術によって神々の像へと命を与える様子が引用されているんだとか)。アウグスティヌスは魔術全般に対して攻撃をしていたそうですが、そのなかでもアプレイウスの精霊についての見方に警戒していたそうです。123年頃に生まれたというアプレイウスは、大変高名な教養人でエジプトの魔術についても詳しかった人物。彼の書いたものでは『黄金のろば』という小説があり(岩波文庫にも入っています)、この内容は主人公が悪いことをした罰でロバに姿を変えられてしまい、エジプトのイシスのところまで旅をして人間に戻してしまう、というもの。こういうのが異教的で敬虔さを欠いたものと見なされた、というわけですね。なお、このアプレイウス、『アスクレピウス』の翻訳者(ギリシャ語からラテン語への)と噂されていたそうです。しかし、それが本当かどうかは確かではない。少なくともその仕事はアプレイウスにとって魅力的なものであっただろう、とイェイツは言っています。
ただ、なんだかんだ言いつつアウグスティヌスもヘルメスがキリスト教の到来を予言していたことは否定していなかったそうです。それどころか「ギリシャの賢人や哲学者よりもずっと昔の」権威としてヘルメスに重きをおいていたんだとか。また、モーセの時代から三世代にわたる系譜学のなかにヘルメスを置き、ヘルメスはモーセよりもあとの人なのか? それとも同時代だったのか? またもやモーセより前の人だったのか? と議論を提起していたそうです(まるで、好きな人だからこそイジわるしちゃうような態度ですね)。
ここまでラクタンティウスとアウグスティヌスについて見てきましたが、イェイツ曰く、昔の教父には他にもヘルメス主義を学んでいた人がいたそうです。このうちアレクサンドリアのクレメンスという人は「ヘルメスの本は42冊あり、そのうち36冊がエジプト人の哲学関するもの残りの6冊は医学に関するものだ」と述べています。しかし、これらの多くは後世に伝えられておりません。ルネサンス期のヘルメス読者たちもまた、残された『アスクレピウス』や『ヘルメス文書』を聖なる書物群の重要な生き残りとして信じていた、とのこと。長くなって参りました。今回はここまでにいたします。次回からようやく15世紀のお話に入ります! メディチ家とか出てくるよ!