向井秀徳『厚岸のおかず』
元Number Girlなどという紹介が果たして今や意味を成すのかどうか、もはや「Zazen Boysの向井秀徳」のキャリアは「Number Girlの向井秀徳」を凌ぎつつあるのであって、これに「作家の向井秀徳」が加わってしまうのではないか、そうなったら「Kimonosの向井秀徳」はどうなるのか……なんだか大変なことであるなあ、と感嘆せざるを得ない……向井秀徳の第一著作はそうした書物であった、南無。私にとっての向井秀徳とは良い塩梅な発声で、すごい強固なバンド・サウンドをガン鳴らすメガネの人、という感じであるのだが、これにうらやましくなるような文才を持つ人、という認識が加わる。天は二物を与え……ている。世の中は不公平だ! と天を仰ぎながら、この素敵な本を猛烈な勢いで読んだ。面白かった!
文章の技術は高い、とは言えないだろう。いや、どちらかといえば稚拙で、おそらくこの文章をリズミカルに読めてしまうのは、読み手が向井秀徳の会話のリズムを知っているからだ、と思うのだが、そうした稚拙な文章だからこそ、物語の原点、というか、プリミティヴな物語の核というか、そうしたサムシングが荒々しくも伝わってくる。あっという間に読み終わるそれぞれの短編は、奇想天外なアイデア、というか単なる「人を驚かせるような単なる思い付き」に過ぎないのだが、こうした閃きを連続して目の前にするにつけ、物語の読み手を、その流れにひきつけるものとは基本的に、そういった優れた思いつきである、と思わされる。
通常、運動会では士気を鼓舞するようなBGMを流すことが多いが、「ヒートアップし過ぎて事故が起こりかねない」という配慮により、Sケンの協議中はエンヤがBGMとして流されていた。
こうしたどうしようもなくくだらなくて、笑わずにはいられないアイデアの数々が短編の世界にうまくハマッていく。でも、それは決して物語の矮小さを示すものではなく、大きな世界へと連なっていくミクロコスモスなのである(大げさな言い方をすれば!)。