俺が考えた『KAGEROU』のあらすじ
過疎化が進む山間の村を渡り歩き、無知な高齢者を相手にレメディを売りつけることを生業にしていた元広告マン、林田栄一は激しい雷雨の晩に手足のない赤ん坊が捨てられているのを偶然目にした。林田は異形の姿でこの世に生を受けながらも、必死で生きようとする赤ん坊の姿に心を打たれ、赤ん坊を車で連れて帰り、自分の力で育てようと心に誓った。林田から「蜻蛉丸」という名を授けられたこの赤ん坊こそ、48匹の妖魔と契約した醍醐景光が、悪魔の実の能力者となる代わりに、供物として妖魔に捧げられた子どもであった。林田の叔父である天才錬金術師、天馬博士の手腕によって、心臓部に賢者の石を移植され、新たなるアストラル・ボディを手に入れた蜻蛉丸は、ある日、林田の部屋にあったレコード棚から一枚のフェラ・クティのLPレコードを見つける。ステレオから響きだすドス黒い衝撃は、蜻蛉丸に天啓を与え、衝動が彼の運命を決めた。「父ちゃん! 俺、DJになる!!」。中学を卒業した蜻蛉丸はDJ KAGEROUと名前を変え、48匹の妖魔が懐に隠し持っているという伝説のブートレグを手に入れるため、旅に出るのだった……。
評: 古典漫画からのあからさまな引用によって組み立てられた冒頭部分は、作者のポストモダン文学への傾斜ではなく、むしろ、「あえて」その流れに組することで内的に批判を試みるという批評的意図が込められていると言えよう。この作品の真に優れた点は、こうした実験小説あるいは冒険小説のフォーマットをとりながらも、失われつつある家族愛を鮮烈に描き出しているところだ。土木工事現場で鉄骨の下敷きになって瀕死の重態を負った林田のもとに、天下一DJバトル大会の途中にもかかわらず駆けつけた蜻蛉丸が、錬金術的な奇蹟によって、林田の傷を一瞬にして癒すシーンは涙を禁じえない。まさに10年代の文学の始まりを予告する金字塔は、ここに打ち立てられたのだ。