sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

作曲家は語る〈ジョナサン・ハーヴェイ〉(サントリー芸術財団 サマーフェスティバル 2010〈MUSIC TODAY 21〉) @サントリー・ホール ブルーローズ

 サマー・フェスティバル2日目は今年のテーマ作曲家、ジョナサン・ハーヴェイのトーク・ライヴ。トークの前には彼の作品と思想を紹介するBBCのドキュメンタリーが流されました。プログラムには、シュタイナーにも影響を受けた、とありましたが、シュタイナーへの言及は見事にゼロ。なんですかね、シュタイナーってやっぱり「マトモな人は言及しちゃいけない」みたいな戒厳令でもあるんすか?(笑) で、どんな話があったかっていうと、ジョナサン・ハーヴェイはクリスチャンだけど、仏教哲学に熱心でそれは作品のコンセプトにも取り入れてますよ〜、というのが大意。ただ、彼の仏教への接し方っていうのが興味深くて。仏教に詳しいイギリス人というとジョン・マクラフリンぐらいしか思いつきませんが、まあそういう「なんかエキゾチックなモノにハマってるだけでしょ?(笑)」的に思える仏教ガイジンと違って、仏教を経由してキリスト教神学の根幹みたいなものを理解しようとしてるんじゃないか、と思えたのでした。そういう一つの遠回りをすることで、なんか理解のレベルを一つ掘り下げることってあるなあ、って思う。たとえば、プラトンとかアリストテレスとか読んでるとそういう気分になるときあるもんね。ごちゃごちゃ言ってるけど、こいつら当たり前のことしか言ってない! けどその「ごちゃごちゃ」がないと当たり前のことに気づかなかったりね。これも一つのポモっぽい態度なのかなあ〜。キリスト教も仏教も並列になって、自由な選択のなかから理解や思想を育む、みたいな。ハーヴェイは1966年のダルムシュタットシュトックハウゼン聴いたときはマジでビビったわ〜(大意)とも言っていて、彼の神秘主義ぽい思想には共感してるらしいけど、私の印象からするとシュトックハウゼンとハーヴェイには大きな隔たりがある。かたやパラケルスス、かたやシュタイナー的な……ってやっぱりシュタイナーじゃんか、という。シュタイナーにも「根源的なものを説明するためには耶蘇も仏もバラモンも関係ない! 使えるものはなんでも使う!」っていう掟破りの逆サソリみたいなところがあったと思うし。

インスピレーション 音楽家の天啓、霊感とその源泉
ジョナサン・ハーヴェイ
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 ここまで彼のコンセプトについてまったく触れてませんでした。なんか来日記念で本も邦訳されたらしいんで詳しくはそちらを(いやあ、なかなか香ばしいタイトル)。軽く話にあがってたのを紹介するとハーヴェイさんは「曖昧さ」っていうのを音楽で表現したいんだって。言葉では同定することのできない曖昧なものを音楽で表現する。イデア界にあるものに音楽で名付けをおこなう、そんなことも言ってたかな。なんかそれって音楽によって意味を伝えることの本質のような気がする。ただ、作品の断片をいくつか聴いてみると、静かだったり変だったりする持続音が積み上がってテクスチュアを作ってます、系で「なんでこういう作風って神秘主義的として理解されちゃうんだろうね?」って思った。ひどいこと言うと神秘主義(笑)なんじゃないかと。でも、実際に作品を全部聴いてみないとわかりませんからね。実演を楽しみにしたいです。


 明日は〈音楽の現代〉のオーケストラ編です。