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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

イエイツの『記憶術』を読む #3

記憶術
記憶術
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フランセス・A. イエイツ
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 マラソンの練習中に思いついたのですが、この『記憶術』の著者、フランセス・A・イエイツ(1899-1981)って、今考えてみると元祖「歴女」(歴史好き女子、の略でいいんですよね?)みたいな人ですよね。左はいつのものかわかりませんがイエイツ先生の写真です。ちょっと怖い顔。最近になって彼女の評伝の日本語訳『フランシス・イェイツとヘルメス的伝統』が出ています。こちらの表紙はさすがに若い頃の写真が使用されているようです。こっちはパッと見、ちょっと美人風。歴女ブームが来ているそうですから、我こそ歴女、あるいは歴女好き、という方は是非、イエイツ先生の著作にも手を出していただきたいところです。日本の戦国時代なんかはっきり言ってスケールが小さいですよ! 「城がカッコ良い」とか言いますけれど「記憶の劇場」のほうがもっとダイナミックで最高です!!


第三章 中世における記憶術
 いきなり脱線してしまいましたが、今回は第三章です。ここではギリシャ、ローマ時代以降に記憶術がどのようにヨーロッパで扱われていったか、が主題になっています。話の俎上にのってくるのは、5世紀から13世紀と非常に長いスパンとなっています。世の中はいろいろ変わっています。まず、4世紀にはゲルマン民族の大移動なんかがあって、西ヨーロッパ全体がわけわかんなくなっています。5世紀のマルティアヌスという著述家は、ラテン世界を代表する自由七学科の学問を寓意化して書き残しており、少なくともこのときまではラテン的な暗記術も重要なものであったようです。しかし、その後にラテン世界が崩壊してしまうと、シャルルマーニュが古代の教育制度を復活させようとするまで、学問は歴史の表舞台に立つことはありませんでした。「野蛮化した世界では、弁論家の声は沈黙させられるものだ。安全が保証されない時代には、弁論に耳を傾けるためゆったり集う余裕など人々にはないのである」(P.80)。


 さて、シャルルマーニュは教育制度を復活させるためアルクィンという人物をフランスに招聘します。この人はイングランド出身で、古典教育を受けたその時代の権威だったんですって。ここでイエイツはシャルルマーニュアルクィンの対話を引いているのですが、シャルルマーニュが「記憶力を高める方法ってあるのかな?」とアルクィンに訊ねると「うーん、めっちゃ暗記の勉強して、書きまくって、いろんな風に応用して、深酒をさけることかな」なんて答えているのです。イエイツはびっくりします。なんたることを! 『ヘレンニウスへ』で説かれた技術はどこへいってしまったんだ! と。まぁ、いろいろあったんでしょうね。そもそも『ヘレンニウスへ』に注目が集まっていたのは、12世紀〜14世紀になってからのこと。それまでは欠落があるものが伝わっていたんですって。


 しかも12世紀にこの著作に注目が集まっていたのもこれがキケロの著作だと思われていたからなのでした。この著作は『ヘレンニウスへ』と同時にキケロが書いていた『主題の創造的選択について』の続編だと思われており、アルベルトゥス・マグヌストマス・アクィナスといった中世思想史の超ビッグ・ネームたちもそのような認識で『ヘレンニウスへ』に触れていたそうです。しかし、だからこそ『ヘレンニウスへ』は文献として後世まで伝えられた、というべきなのかもしれません。というのも、中世においてキケロの影響はとても大きいものだったので、不完全なテキストしか伝わっていなくとも「このテキストはキケロの書いたものだ!」と思われていれば、それが読まなくてはならない(理解しなくてはならない)テキストだ、と思われていたようなのです。


 さて、このような確認作業を終えれば、ようやくこの章の本題に入ることができるかもしれません。中世において記憶術はどのような扱われ方をしていたのか? です。これまでの章で見てきた通り、ギリシア時代、ローマ時代を通じて、記憶術は立派な弁論をするための技術のひとつでした。しかし、中世になるとそれが倫理学の範疇に入ってきます。これは一体どういうことなのでしょうか? イエイツは中世において記憶術が活用される目的がそれまでとはダイナミックに変わってきていたことを指摘しています。ここは超燃えるポイント。


 イエイツはまず、12世紀後半から13世紀初めにかけて、ヨーロッパで最も重要な文系の技術であった「文体術」(公文書の書式術)で有名だったボローニャ学派のボンコンパーニョ・ダ・シーニャという人物の『最新修辞学』という著作を見ています。この本が書かれたのは1235年。このときすでに記憶術が弁論術から倫理学へと河岸を変える土台が作られていた、とイエイツは言います。

われわれは天国の目に見えぬ歓びと地獄の永劫の苦しみとを、たゆまず心に刻みつけておかねばならない(P.87)

 以上のようにボンコンパーニョは記しています。そして彼は美徳と悪徳のリストを作成し、そしてこれを「記憶の目印」と呼び、その目印を覚えなくてはならない、としたのです。しかし、それがなにの役に立つというのでしょう? イエイツはボンコンパーニョが説いた「記憶の目印」の効果を以下のように分析しています。「古典的規則通りに鮮明化された美徳と悪徳のイメージを『記憶の目印』として記憶に刻印し、われわれが〈天国〉に到達し〈地獄〉を忌避する助けとすることにあった」(P.88)と。そして、この路線にアルベルトゥスもトマスも乗っているのです。

『ニコマコス倫理学』は、美徳と悪徳およびそれらの細目を複雑化したが、アルベルトゥスとトマスによる〈思慮〉の新たな評価は、その美徳と悪徳とを時代に即したものにしようとする彼らの全般的努力の一つの表われなのである。(P.89)


(続く)