イエイツの『記憶術』を読む #1
いよいよ、夏が本格化しそうな気配がするので、本気で外に出たくない派である俺はフランセス・A・イエイツの『記憶術』をマトメるぜ! ということで当ブログにおいて最もハードコアなコンテンツである「ひとりぼっちの読書会」シリーズとして、精神史・思想史における大名著にとりかかります。現代社会を考察するのに役立つような思想書・哲学書ならいざしらず、「紙がなかった頃の人たちはこんな風にして物事の記憶をしていたんだよ」なんてところから始まる本に誰が興味を持つのでしょうか? これまで以上にスルーされることが予想されますが、勝手に頑張ります。
本書の主題は、大半の読者には馴染のないものであろう。ギリシア人は多くの学芸や技術を発明したが、記憶術というものをも発明し、それが他の技芸と同様にローマからさらにヨーロッパの伝統へと下っていったことを御存知の方は、殆んどあるまい。(P.15)
以上は序の一番最初からの引用ですが、ここにこの本の内容のすべてがございます。知らねぇなら教えてやろう、っていう話です。さあ、興味がわかなかった方は早々と当ブログを立ち去るが良い。
第一章 古典的記憶術に関するラテン語三大文献
序でも触れられているとおり、古典的記憶術のはじまりはギリシアにあり、シモニデスという人がその始祖だったようです。第一章のタイトルになっている「ラテン語三大文献」、作者不詳の『ヘレンニウスへ 第四書』、キケロの『弁論家について』、クインティリアヌスの『弁論術教程』という本は、どれもその始祖であるシモニデスの話に触れています。
シモニデスが記憶術のヒントを得たのはある日に呼ばれた飲み会での事件でした。パーティーは盛り上がりさんざん楽しく飲んでいたところ、シモニデスがちょっとしたきっかけで祝宴の会場を離れていたら、なんとその会場の屋根が崩れてしまい、シモニデス以外が全員死亡。なにしろ、ひどい事故だったものですから、死体が誰のものかも判然としない。そこでシモニデスは、思いついてたのですね。飲み会で各々が座っていた位置を思い起こすことで、その死体が誰の死体であるか、を思い出す、という手段を。これが場にイメージを埋込むことで、自在にイメージを引き出す……という記憶術のはじまりでした。
ギリシア時代の話ですから、ちょっとありがたいお話に聞こえるかもしれませんが、こういう思い出しかたって往々にしてありますよね。例えば「あの二次会の集金しなくちゃいけないんだけど、誰が来ていたか覚えている?」と訊ねられたときなんか、注意深い人ならその二次会の情景と座っていた席から、まさにシモニデス的に二次会の参加者の名前をリスト化することができると思います。視覚的なイメージと記憶を結びつけ、それを引き出すこと。これが古典的記憶術の手法なのです。
さて、そのような記憶術ですが、ローマ時代になると「演説者が淀みなく正確に暗で長広舌を振るいうるように記憶力の強化を狙った技術として、雄弁術の範疇に属し」(P.22)ました。だからこそ、キケロの著作も古典的記憶術に関するラテン語三大文献として数えられている。そしてこの流れに乗っかったから、記憶術はヨーロッパの知の伝統のなかで生き延びることができたのだ、とイエイツは指摘します。
さて、ローマ時代に受け継がれた古典的記憶術とはどのようなものであったのでしょうか。それは前述した作者不詳の『ヘレンニウスへ』という著作物に集約されているようです。基本的な方法論としては、シモニデスが発見した「場とイメージの関連」を踏襲します。もっとも、シモニデスの時代から時間が立っていますから、『ヘレンニウスへ』の作者(以下、『ヘ』の作者とします)の時代には、その体系はもっと洗練されている。記憶の種類も「事柄の記憶」と「言葉の記憶」との2種類に分類されます。前者は弁論すべき対象についての概念的な知(イメージ)で、後者は弁論するときのセリフ一字一句についての記憶です。このうち、後者を記憶することのほうが難しい、と『ヘ』の作者は説いています。そりゃそうですよね。私も古典的記憶術がどのようなものかこの本を読んで得た知識を、他人に伝えることができますが(事柄の記憶は得られますが)、イエイツが書いた一字一句を復唱すること(言葉の記憶をえること)はできません。
キケロは『弁論家について』を書くおよそ30年前に『主題の創造的選択について』という作品を記しているそうです。これがキケロが初めて弁論術を扱った初めての著作だそうですが、キケロがこれを書いていた時期と『ヘ』が編纂されていた時期は重なる、とイエイツは指摘します。そして、キケロの著作を読むと『ヘ』の作者がオススメしていたギリシア式記憶術は同時代的に「え? マジでそんなことできんの? はっきり言ってそんなのはじめから記憶力が良かったヤツにしかみにつけられないんじゃね?」という批判にさらされていたことがわかるそうです。
キケロが『弁論家について』を書いてから1世紀ほど経って、クインティリアヌスは『弁論術教程』を書きました。この人は紀元1世紀の優れた教育者であり、ローマにおける雄弁術教師の第一人者でもあったそうです。90年代で言うと「マイク掴んだらマジでナンバワン」なジブさんみたいなものでしょうか……。クインティリアヌスの時代ともなれば、ギリシア式記憶術についての風当たりはさらに強まっていたようです。クインティリアヌスの言うところによれば「まぁ、そういう工夫っつーか、ライフハックっつーの? そういうのがあるのは認めるよ? でもさ、そんなの身につけても淀みないクールな弁論がなんかできないわけ。だから、体育会系っぽく何度も言葉を繰り返し発音して、丸暗記しなきゃ何時まで経ってもクールな弁論はできないのよ。ドゥー ユゥー アンダスタンンンンドゥ!」ってな具合ですね。
さすが紀元1世紀のジブさんだ。キケロの著作に出てくる伝説的な暗記力の持ち主、カルマダスとスケプシスの人メトロドトスについても「ありえねぇよ!」とDISっています。っつーかイメージなんか覚える記憶のスペースがあったら、そこに言葉を詰め込めばいいじゃん! クインティリアヌスの批判は合理的です。しかし、後世の西欧における記憶の伝統が基盤としたのはジブさんのほうではなく、不詳の男、ミスターXが書いた『ヘレンニウスへ』の方法論だったのです……!(なんということでしょう!!)
(続く)