集英社「ラテンアメリカの文学」シリーズを読む#7 サバト『英雄たちと墓』
集英社「ラテンアメリカの文学」第7巻はエルネスト・サバトの『英雄たちと墓』。彼は1911年生まれでまだ存命中の作家なんだけれど、その長い生涯において長編小説をまだ三作しか発表していない大変寡作の人である。ただ、評論や批評、エッセイなどは数多くあり、著作が少ないわけではない。そのなかにはアルゼンチンタンゴに関する著作もあるそうだ。『英雄たちと墓』のなかでも、タンゴに関する評論めいた部分が挿入され、そこではアストル・ピアソラについても言及される。これは小説の舞台となっている1950年代のアルゼンチンにおける「一般的なピアソラ受容の反映」のようにも読め、興味深かった。ちなみに、ピアソラが書き残した楽曲には「『英雄たちと墓』へのイントロダクション(Introduccion A Heroes Y Tumbas )」というものがある。この楽曲から感じるじっとりとダークな雰囲気は、この小説の雰囲気に似ているかもしれない。
ストーリーは、大きく三つの部分に分かれている。まずは、気弱な青年、マルティンの話。彼はある日偶然に出会った少女、アレハンドラに恋をし、彼女の影を追い求める。小説においてアレハンドラは「謎の女」である。ある時は大変大人びた女性にも見え、ある時は無垢な少女にもなる。男を誘う手口も巧であり、小悪魔系というか、典型的なコケットリーだ。そして同時に、彼女のなかには狂気が宿っている。それは彼女が生まれたオルモス:アセベド家の血のようなものであり、小説の核心となる謎のひとつとなる。で、この少女にマルティンが翻弄され、煩悶するのが第一部だ。この煩悶ぶりが素晴らしい。アレハンドラに振られそうになっているときの彼の不安の表現と行動が、私にはすごく理解できた。マルティンは「望まれずに生まれてきた子ども」と言い聞かされ、母親にほぼ無視されて育った青年である。その彼が初めて異性から受ける承認が、アレハンドラからなのであり、それを失おうとするときの絶望感がすごく良かった。そこから立ち直っていく彼の姿は後々描かれていく。そういうところは、この小説が教養小説としても読めることを示している。
第二部は、アレハンドラの父、フェルナンドが書き残した『闇に関する報告書』という怪文書の挿入となる。この文書については、あらかじめ「パラノイアによって書かれた文書」ということが明らかにされている。これがまるでシュールレアリスム版『競売ナンバー49の叫び』のような感じで、恐ろしかった。ざっくり言うと「盲人たちが生活していけるのには、きっと盲人たちの秘密結社の存在があるに違いない。そしてその秘密結社に世界は牛耳られているのだ! フェルナンドはその謎を負う!!」という風になるが、ドロドロとしたイメージの氾濫がスゴい。
(左:サバトのポートレイト。渋いオッサンである)第三部では、フェルナンドの友人であり、第一部でマルティンの話を聞く役を与えられていたブルーノという作家が主な語り手となる。彼が、フェルナンドが読者に与えていった大きすぎる謎を説明しようしている……ように思われるのだが、一向に謎は謎のまま、そこにマルティンの成長や、オルモス:アセベド家の狂気の歴史の原点となった19世紀の戦争のエピソードが挿入され、ストーリーが錯綜する。最後は、マルティンの出立が描かれている。これは「俺たちの戦いはまだ始まったばかりだぜ!」的というか、カフカの『アメリカ』的というか「なんとなく終わってしまった風」のような気もする。全体的なところをまとめておくと「人はなにかが欠落しており、そのなにかを求めてさまよい続ける」っていうのがテーマなのだろうか。こう解釈すると(私のあまり好きでない)実存小説のようでもある。
「ボルヘスのブエノスアイレスは彼のニネベやバビロニア同様非現実的なものである。サバトのそれは逆にドストエフスキーのペテルブルグのように心底現実的である」――以上は、『英雄たちと墓』が発表された当初に寄せられた賛辞のひとつ。個人的には現実的な部分と幻想的(悪夢的)な部分が重層的に積み重なっているため、単純にボルヘスと対比することはできない、と思う。世代的に言うとサバトはボルヘスの一つ下の世代に位置する。そしてムヒカ=ライネス*1とは同世代だ。ムヒカ=ライネスがボルヘスの直系に位置するように感じられたが、サバトはボルヘスの批判的継承者という感じがした。前述のタンゴについての記述、当時の政治的な潮流、酒場で繰り広げられる男っぽい会話なども興味深く読める。
あと小説の「まえがき」の部分がとても良かった。
信念が揺らいだとき、それはいつものことではあるが、わたしを終始励ましてくれた女性にこの小説を捧げる。彼女がいなければこの作品を完結する力は得られなかったに違いない。むろん、彼女はもっと価値のあるものを受けるに相応しい人ではあるが、この作品をその不完全さをも合わせて、彼女に捧げる。
これは、いつか使う。