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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

『ゴーレムニア・アデプタ』の書き出しと作者による解説

 世界史上最も有名なテキストのひとつである『創世記』のなかに「ゴーレム」という謎めいた言葉が登場する。これは古ヘブライ語で「胎児」という意味をもち、神の被造物である人間の象徴であるとも、または、ユダヤ教カバラ主義の秘儀として伝承されてきた最古の人造人間のこととも言われる言葉だ。これらの解釈についてはユダヤ教の立法者や聖書学者のなかでも意見が多数に分かれるところであるが、ゴーレムたちが農耕や戦争などの各方面で活躍した記録は『創世記』に続くテキストにも頻出し、今日のゴーレム史学的観点から言えば、語義的・解釈的な問題ではなく、ゴーレムによってどのように歴史の流れが変えられたのか、という問題に注目がおかれている――世界史上、ゴーレムが登場したことのインパクトとは何であったのか? ドイツを中心としたゴーレム学(Golemnia)の徒が心血を注いでいるのはこのポイントなのだ。


 例えば同じく旧約聖書のひとつ『ヨシュア記』は、モーセの後継者であったヨシュアの指導の下、ユダヤ民族が団結し「約束の地」カナンを侵略し、異民族を排他するための戦争についての戦記だが、ゴーレムたちの活躍ぶりは、この文献にも華々しく記述されている。ヨシュアの下に集ったヤハウェ十二部族宗教連合のうち、ゴーレムの製造に長けたテラ族たちは、青銅の身体を持つゴーレムを操り、ヨシュアが命ずるままに焦土戦術と殲滅作戦を遂行した。ピエルモント・モーガン・コレクションに収められている『ヨシュア記』の彩色写本には、ヨルダン川東西を支配していた敵の王たちを絞首刑にするゴーレムたちの姿が描かれており、また一九九〇年代、ベルリン郊外に拠点を持った神秘主義集団「熊の目連盟」の主宰、自称「『預言者』であり、歴史の全てを見渡す『不死の人』」こと、ヴィルヘルム・ホーレンシュタインは、ゴーレム戦闘部隊の凄まじい殺戮行為により約束の地は焼け野原となり、異部族による数々の王国が滅亡していく様子を生々しく回想している(滅亡した国の数は、ヨルダン川西部の国だけでも三十一にのぼった)。身長二メートル十五センチ、人間の頭蓋骨を軽々と握りつぶす怪力の人造人間、矢も石斧も投石も効かない怪物兵士、情け容赦ない非情な殺人術、当時最強の軍隊であったゴーレム部隊の実力は遺憾なく発揮されたのだった。


 こうしてヨシュア軍に導かれた民族は、彼らに勝利を与えてくれたヤハウェに忠誠を誓い、その荒れ果てた土地を農耕地として再建しはじめる。それから二百年かけて、ユダヤ民族はイスラエル王国の形成に向かって繁栄し、ソロモン王の時代に黄金期を迎えた。これらは紀元前一二〇〇年初頭から、一〇〇〇年にかけての話である。だが、繁栄のなかでヤハウェへの忠誠は薄れていく――戦争の記憶はすでに忘れ去られており、誰も神と契約をしたことの有り難味を覚えていない。『ヨシュア記』に続く『士師記』は平和によって神と結んだはずの契約を忘れ、部族間の協調関係も弱まっていった頃の歴史を記録している。その体たらくをもしもヨシュアが目にしていたならば、激怒のあまり自らの子孫に容赦なくゴーレム部隊による強襲をしかけ、長い年月をかけて築かれてきた王国を灰燼へと帰せしめただろう。しかし、そもそもそのような天罰などの必要さえなかったのかもしれない。共同体という幻想の崩壊は部族間での対立を生み、イスラエルの黄金時代は、ソロモン王の一代限りのものとなってしまったのだから。


 団結を忘れた土地には、革命が連続する。預言者が乱立し、多くの血が流された。そしてその政治的な混乱は易々と外敵の侵入を許してしまう。既に紀元前一二〇〇年ごろに、イスラエルの北、レバノン‐シリア地方では「海の民」と呼ばれる戦闘民族による略奪の被害にあっていたが、弱体化したユダヤ部族集団は彼らの末裔の格好の餌食となった。民族の頼みの綱であったゴーレムたちの多くも、かつての繁栄の時代に農耕に適したものとして改良され尽くしており、高度に発達した戦術を持つ「海の民」の末裔には適わなかった。必要に迫られたユダヤの人々は戦闘用ゴーレムの再開発を急ピッチで進めようとするが、高名な秘術者たちが各部族の主権争いのなかで、権力の象徴と見なされたおかげで分散していたために秘術者たちの仕事は思うように進まなかった。


 こうした歴史の流れのなかで、イスラエル王国は北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂するが、かつての黄金時代の栄光を再び勝ち取ることができず、両国ともに外的勢力によって滅亡した。しかし、これはゴーレム研究史上の大きな転換点となる出来事でもあった。北イスラエル王国アッシリアに滅ぼされる際、ヤハウェ十二部族宗教連合を形成していた十二の部族のうち、十部族が虜囚されている。これらの部族は行方について詳らかになっていないことから「失われた十部族」と呼ばれているが、この失われた部族のなかにゴーレム製造に長けた部族が含まれていた、と言われているのだ。失われた部族たちは絶滅させられたわけではない。連行された先の土地の人々と混ざり合い生き延びた。ゴーレム製造の秘儀も同じように延命されたと考えても不思議はないだろう。また、これがギリシャやエジプトなどの各地にゴーレムが伝播する契機となっていったとも考えられる。
(イサク高橋『日曜ゴーレム学入門』より)

 以上は、5/23(日)の第10回文学フリマで発表される文芸同人誌『UMA-SHIKA』に寄せた私の新作小説『ゴーレムニア・アデプタ』の書き出しです。90枚超のボリュームで自分史上最も長い小説となり、面白く読んでもらえるか心配だったのですが、内輪で読んでいただいたところ「いままでで一番キャッチーな物語だし、持ち味の奇想力も全開!こんな小説が現れるのを、ずっと待ち望んでいたような気さえします。*1」や「ピンチョンというか、ウンベルト・エーコというか、そういう次元ですよね、これは。敬服いたします。*2」とお褒めいただきました。一般的に望まれる作者としての態度を守るのであれば「それでは、全文が読めるのをお楽しみに!」と引っ張るのが正しいのでしょう。しかし、今回はひとつ、作者からの「ひとつの読み方」をあらかじめ提示しておきたいと思います。


 今回の『ゴーレムニア・アデプタ』に対して「いままでで一番キャッチーな物語」という指摘は実に的を射る指摘であります。これまで私の作品に触れたことがある方はご存じかと思いますが、私はこれまで「ちゃんとした物語」を描いたことがなかった(これまでの作品はインチキな思いつきを展開するだけ展開して、おしまい、というモノでした)のですが、今回は「ちゃんとした物語を書いてみる」ということに挑戦しています。それもものすごくキャッチーな物語を。なので書き出しこそ、偽ボルヘスのごとき疑史から始まりますが、ここから恋愛小説(しかも難病モノ!)へと流れ込んでいきます。幾度かの脱線を挟みつつ、基本的にはこの難病モノというラインに沿って物語を進めました。


 なので「キャッチーな物語」になったのは当然なのです。私として「キャッチー」というよりかは「平凡」で、「チープな」物語を書こうとしています。ですが、それだけではあまり面白く無いですし、書き終えることさえもできなそうでしたので少し工夫を凝らしました。キャッチーかつ平凡な物語を、可能な限り装飾していったらどうなるか、というところに注力する形で。あまり意味がない脱線も装飾のひとつでしょうし、また、手紙や旅行パンフレットや戯曲といったテキストの形式を模倣することによっても装飾をおこなっています。要するに「外はガチガチでキラキラ、でも中はスカスカ」な状態を作り上げたかったのです。ただ、それによって何かを達成しようとする意図というのはあまりなく、そういうものを書いてみたかった、というだけなのですが結果的に部分点だけで点数稼ぎをおこなって面白くなったかな、という感じがしないでもありません。


 以上で作者による解説を終ります。『UMA-SHIKA』第三号が売れますように!!


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