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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

アンソニー・グラフトン『カルダーノのコスモス ルネサンスの占星術師』

カルダーノのコスモス―ルネサンスの占星術師
アンソニー・グラフトン
勁草書房
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 16世紀ルネサンス期のイタリアに生きたジロラモ・カルダーノは医者であり、数学者であり、哲学者であり、占星術師だった。医学と数学、哲学は今でも立派な学問として(哲学はそうでもないか?)通用するジャンルだが、ここに占星術が入ってくると少し不思議な感じがするかもしれない。なぜ学者が占星術――ものすごく簡単にいうと星占い、だ――を? しかし、カルダーノにとっては医学と占星術は密接に関係するものだった。人間の健康は、星の動きに多大な影響を受ける。ゆえに、天文学を経由して星の動きを学ぶことは、人間の身体を癒す術を学ぶことだったのだ。だからカルダーノの多彩な活動は「ルネサンス的な万能人」と単に思われるべきではなく、合理的な結びつきによってなされた、と言って良いのだろう。星と身体の関係。いまではオカルトとして処理されてしまいそうな話だが、それが理屈として通用する時代の精神にまず驚かされる。16世紀のイタリアと、21世紀の日本における世界の認識のズレがシンプルな興味を生み出し、「読ませる」ための推進力を与えている。


 アメリカの歴史学者であるアンソニー・グラフトンが描き出す、カルダーノの姿がなんと魅力的なことだろう。筆者は、カルダーノ占星術師としての業績に焦点を当てているのだが、その仕事は非常にクレバーで、しかも虚栄心に満ちた意思によってなされているように解釈される。たとえば、彼が出版した当時の著名人(カール5世や、フランソワ1世、またはスレイマン1世)たちのホロスコープ(誕生図)。これはその人の生まれた瞬間の星の位置を示したもので、ここからその人の運命や性格などを占うものだ。これは大変評判が良かったそうで当時のベストセラーにもなっていた。そしてその評判を、彼は医者の仕事が繁盛するように利用した。その目論見どおりに彼は医学会の権威的存在になっていたようだ。有名な人なら良い医者に違いない、そういう人の思い込みは現代にもありそうだが、カルダーノはそういった心理を上手く利用していたのだ。


 カルダーノは誰彼かまわず悪口を浴びせる最悪な性格の持ち主で、インポで、小児性愛者で、でも偉大な業績を残した学者で……という「変人」としかいいようがない複雑な人だ。善悪が奇妙に同居するこの複雑な性格に私は興味を持った。複雑といえば、この人の占星術に対する態度も相当複雑なものである。有名な占星術師なら、ホロスコープからその人の運命を読み、そしてその主張を絶対に曲げないのだろう、と思われるかもしれない。そして、それがよく当たったからこそ、有名になったのだろう、と。だが、それはちょっと違う。カルダーノが予言したことは大して当たっていないし、彼自身「星の動きは絶対じゃない。っていうか星の影響を我々は乗り越えなくちゃいけない。あと、星の運行から占いをするよりも、思いつきでなんか占ったほうが当たる」とよくわからないことを言っているのである。


 ここでまたカルダーノのなかに対立を見出すことができるだろう。占星術的な理論と直感的な非理論。現代人からすれば、占星術が理論的なものだと考えられていたことが「やーねー、昔の人は!」と鼻で笑うべきものかもしれない。しかし、現代人であって、電気とインターネットがある科学の時代に生まれながら、占いやスピリチュアルを信じたりしている。我々はカルダーノを笑うことなどできないだろう。本書が描き出すカルダーノのなかには、過去にいる我々とは違った他者と、現代の我々と同じ自分を見出すことができるのだから。