sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

三村太郎 『天文学の誕生 イスラーム文化の役割 』

天文学といえば、いまではロマン溢れる理系の学問であり、一般ピープルからしたら「それって何の役に立つの?」と思ってしまう学問の代表と言えるかもしれません。しかし、世界史的な観点からすれば、天文学が大変重要な学問であった期間のほうが長い、ということが言えましょう。それは占星術との結びつきが強かったころのお話、星を読むことができた天文学者たちは占星術についての理解もあわせもち、政の助言者としても活躍していたのでした。また「コペルニクス的転回」という言葉に示されるとおり、近代科学のはじまりにも天文学は強く関わりを持っています。本書『天文学の誕生』が取り扱うのは、こうして社会と密接につながる時代の天文学の発展史です。


しかし、この学問は西洋においてずっと断絶がなく続けられたものではない、と著者は言います。ギリシャバビロニア天文学を融合し、天動説を体系化したプトレマイオスの『アルマゲスト』という仕事は、一旦七世紀ごろに西洋では忘れられてしまい、コペルニクスが登場するまでおよそ900年間、西洋の天文学史は冬眠状態にある。このあいだ、プトレマイオスらの仕事はイスラーム社会に引き継がれ、発展を続けたのだそうです。著者は、このイスラーム社会における天文学が西洋に逆輸入されたとき、西洋の天文学は再始動した、と主張します。まるでアメリカで生まれたロックンロールが、ビートルズを生み、アメリカに侵略してきた、みたいなストーリーが本書では提示されており、大変刺激的でした。


イスラーム社会での天文学の発展も詳細に描かれます。目次レベルでここでの議論を紹介しておきましょう。まずは八世紀にペルシャ人国家アッバース朝での翻訳文化がギリシャ語文献のアラビア語訳を生む(そのなかには『アルマゲスト』が含まれていました)、『アルマゲスト』は占星術師らに取り上げられ、そこに古代から名高かったインドの計算方法が導入されると、天文学に必要な大きな数をあつかう計算がより正確になる。またそうした学究心の基盤には、異教徒たちと関わりをもつことが多かったアッバース朝ならではのメンタリティがあったーー彼らは異教徒たちを説き伏せるために厳密な論証を要していたのですね。厳密な学問への姿勢はそうした要求から生まれていった、と著者は説きます。またそうした学問へと従事していた者たちは権力者の助言者としても活躍し保護されたことから一層学問は発展していった……! ここまでの恐ろしくエレガントで、ダイナミックな議論のながれも素晴らしいと思いました。薄い本ではありますが、歴史学の本を読む愉しみに満ち溢れた本です。オススメ。