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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

集英社「ラテンアメリカの文学」シリーズを読む#4 オテロ=シルバ『自由の王 ローペ・デ・アギーレ』

 集英社ラテンアメリカの文学」第4巻は、ベネズエラのミゲル・オテロ=シルバ(1908-1985)の『自由の王――ローペ・デ・アギーレ』を収録。調べてみたのですが、この人の作品の邦訳はまだこれ一冊しかないみたいですね。ネットにもあまり情報がなく、まとまった情報といえばWikipediaの英語ページ*1とこの本の解説ぐらいでしか知りえません。若いころは共産主義の活動家であり、ジャーナリストとしても活躍した後、作家になった、というオテロ=シルバの経歴はラテンアメリカの作家に典型的なライフストーリーをなぞるようです。ベネズエラも長い間独裁政権、軍事政権が続いた国ですから、闘争的な活動家/ジャーナリスト/作家であった彼は大変苦労したらしい。没後25周年ということですからこれを機に他の作品も翻訳されたら良いなぁ、と思います。すごく面白かったです。


 『自由の王』の主人公、ローペ・デ・アギーレは16世紀にスペインからペルーに渡り、内乱に参加したり、アマゾンへ黄金郷探索に参加した後、当時のスペイン王、フェリペ2世の支配からペルーの独立を求めて戦争を起こした人物です。未見ですが*2ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『アギーレ/神の怒り』でも題材にとられています。彼は自分が一兵士として加わったアマゾン探検隊のリーダーを皮切りに次々とメンバーを殺害し、ついに神に選ばれた軍隊であるマラニョン軍の頭目となります(このときすでにかなりのジジイ。まるで奥崎謙三のようである)。でも結局部下の裏切りにあって敗北しちゃう。その死に際には、アマゾン探検にも同行させた愛娘を「敵の慰み者になってはイカン!」と自らの手で殺害した、という壮絶な最後を遂げます。


 彼のこういった生涯から、一般的には残忍で暴虐の限りを尽くした人物として古くから語られているのですが、シモン・ボリバルは彼を「ラテンアメリカ独立運動の先駆者」として評価している。オテロ=シルバもこれに乗っかる形でローペ・デ・アギーレに対する積極的な評価をおこなっているように思います(彼はこの作品を書くにあたり200冊ほどの文献を調べたそうですが、数多の文献に記された悪評を検証したりもしている)。オテロ=シルバが描いた「独立運動の先駆者」としてのローペ・デ・アギーレの、フェリペ2世に対する闘争は、ラテンアメリカ対先進諸国との対立と容易に重ねられましょう。現在でも続くラテンアメリカ諸国の政治的混乱・経済的な歪みは、植民地時代から引きずっている搾取の構造に原因がある、と言われています。「ラテンアメリカの文学」第2巻に収録された内田吉彦による解説から少し引用しましょう。

独立によってもたらされた外国貿易への急速な接近は、国際経済という枠組みの中で、ラテンアメリカが世界のどの国よりも有利に生産できるものに集中することを要求し、この結果、ラテンアメリカは世界の原料供給地としての役割を引き受け、大土地所有による一次産品の単一栽培(モノカルチャー)という、極めて歪んだ農業形態の下に置かれることになったわけである。国内経済にはおかまいなく、また国内市場における需要とは無関係に、国際市場向けの換金作物の生産を主体としたこの農業形態が、ますます問題を深刻にして行った。

 ベネズエラの場合、豊富な原油資源があったため、産業が石油産業に集中してしまい、農業が犠牲にされた、と解説にはあります。これにより石油産業に従事した者は栄え、それ以外は貧困にあえぐ……という経済格差が生まれてしまったのです。しかし結局それで一番得していたのは、石油を売る側よりも買う側だったことでしょう。『自由の王』のなかでローペ・デ・アギーレが語る闘争の理由には、明確にこのような搾取への反発があります。大西洋をはるばる渡って新大陸に来たにも関わらず、そこには厳しい現実しか存在せず、旧大陸側の特権階級が一番得をしている。この構造に対してローペ・デ・アギーレは激怒するのです。その怒りは極めてアクチュアルなものと言えましょう。


 しかし、その一方でローペ・デ・アギーレの残虐さについてもオテロ=シルバは極めて詳細に描いています。その残虐さはラテンアメリカの独裁者の姿とも重なるのです。ここでオテロ=シルバのローペ・デ・アギーレに対する評価は微妙なものになっているように思いました。ただ、やっていることは独裁者そのものなのですが、ローペ・デ・アギーレは私利私欲のために動いていたのではない、という一線は守られている。ここが本当に興味深い。


 作中ではイネス・デ・アティエンサという「ペルー随一の美女」が登場し、男たちを骨抜きにしていきます。しかし、ローペ・デ・アギーレは見向きもしない。それどころか邪魔者扱いします。ここにローペ・デ・アギーレが「理想を追い求めた人物」であることが象徴されているように思いました。ただ、やっていることは残虐。書いている間に思い当たりましたが、この潔白さと残虐さの奇妙な同居は、共産主義の大国にかつて存在した恐ろしい政治家たちを思い起こさせます。スターリン毛沢東。彼らはみな、馬鹿げたほど美しい理想を掲げる一方で、粛清を繰り返していました。もちろん作家はこのような政治を好意的に見たわけではないでしょう。高い理想が暴力を生む過程を描いた視線は厳しく批判的なものであります。


 文章のテクニックも素晴らしかったです。ここは牛島信明の翻訳が冴えまくっている! 意識の流れや、作家の視点からの語りかけ、登場人物の自伝的な語り、そして戯曲の形式。さまざまなテキストが作品のなかに混濁し、濃ゆすぎる雰囲気を醸し出しています。登場人物の名前が覚えにくすぎて極悪なのですが、オテロ=シルバがここで披露しているテクニックをいつかパクッてやりたいと思いました。

ペドロ・デ・ムンギーア、マルティン・ペレス・デ・サロンド、フアン・デ・アギーレ、ニコラス・デ・ソサーヤ、ペドロ・デ・アラーナ、ディエゴ・サンチェス・ビルバーオ、フアン・ラスカーノ、フアン・ルイス・デ・アルティアーガ、マルティン・デ・イニーゲス、ジョアネス・デ・イトゥラーガ、エンリーケス・デ・オレリヤーナ、ディエゴ・ティラード、アロンソ・ロドリーゲス、アントン・リャモーソ
(P.161)

 蛇足かもしれませんが、極悪な登場人物の名前(登場人物が極悪、というわけではない)が列記されている箇所を引用しておきます。登場人物が多いのなら、プルーストやピンチョンで慣れていますが「彼はどこそこ州の生まれで、有名な戦士だったなんとかの甥で……」みたいな説明をされても覚えられません! 

*1:Miguel Otero Silva - Wikipedia

*2:ポポル・ヴーのサントラだけ聴いた