sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

クリント・イーストウッド監督作品『インビクタス/負けざる者たち』

「インビクタス/負けざる者たち」オリジナル・サウンドトラック
サントラ
SMJ (2010-02-03)
売り上げランキング: 1349

 イーストウッド新作。昨年もイーストウッド作品には毎度泣かされてしまったのですが、今回もブワッと涙が出てしまいました……。素晴らしかったです。これが『ミスティック・リバー』や『許されざる者』を撮った人の作品なのか、とちょっと拍子抜けしてしまうほど爽快な感動作品に仕上がっているように思われます。スポーツの世界には時折“劇的な展開”というのがありますけれど、そのステージを南アフリカというひとつの国に拡げながら、この映画は“劇的さ”をホンモノのドラマとして呈示することに成功している。


 そこでは物語があくまでノンフィクションっぽく流れていくのですが、明らかにフィクションであろう、というエピソードが挿入されています。この挿入が素晴らしいスパイスになっている。このとき描かれるのは「スプリングボクス」を憎んでいたはずの黒人のこどものなかで、ラグビーの存在がどんどん大きくなっていく過程なのですが、これは強烈に泣かせます。無垢なこどもの魂の美しい部分が濃縮されたすごく良い演出だったと思います。もしかしたら、その演出には「貧しい国のこどもはきっと心がキレイなハズだ」という偏見があるのかもしれませんが、それはさておき、この無垢さは天使的なものとさえ感じられます。


 その天使的な美しさは、ネルソン・マンデラという大人物の偉大さと対比されるものでありましょう。物語の中でマンデラはとにかく好人物で、大らかな人物として描かれます(政治よりラグビーを優先してしまうようなむちゃくちゃな人物でもあるのですが)。その存在感は、父親的なものとして捉えることができるでしょう。しかし、物語の序盤ではその偉大さは理解されがたいものとして現れてしまう。ここで無理やり物語をキリスト教的なものとして読み替えるのであれば、スプリングボクスの主将、フランソワ・ピナールや、黒人のSPたちはまさに父(=神)の偉大さを人々に伝えるための伝道師としての役割を果たしていた、と言えるでしょうか。そうであるなら、この物語は伝道師たちの受難の物語と捉えるのも必然的です。


 個人的にとても印象に残っているのは、冒頭で刑務所から出てきたマンデラが乗ったパトカーが黒人地区と白人地区を隔てる道路を通過していくシーンと、スプリングボクスの選手たちが街中をランニングしているシーンでした。前者では国内の分裂がはっきりと映し出され、後者では白人も黒人も一緒になって走っている選手たちを応援する融和の状態が描かれます。ふたつのシーンは時間的にはとても離れているんだけれども、後者を目にしたとき、強烈なほど前者がフラッシュバックしてしまいました。これはすごいなぁ……とため息をつかざるを得なかった。