sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

勝間和代十夜 外伝《バベルの勝間和代》

黒い勝間和代の旅

 二〇四五年。たぶん。カレンダーどころか壁紙すらも貼られていないこの無味乾燥な牢獄にブチ込まれて、俺が毎日かかさずに記録をとってきたところによれば、いまは二〇四五年の一月十六日だ。この日付は俺がここにちょうど二年間、ブチ込まれ続けていることを意味する。その間、俺が浴びてきた光とは、天井にぶら下がった裸電球と、鉄格子つきの窓から漏れてくる外の空気だけだ。俺がいまどこにいるのか、それは俺にもわからない。とにかく窓から見える景色は、水平線ばかりでなにも手がかりはない。波の音は常に聞こえてくる。どうやらここは、太平洋だか大西洋だか(もしかしたらインド洋かもしれない)に浮かぶ孤島の地下に作られた監獄らしい。そんなものが地球上に存在するなんて、俺は実際にここにブチ込まれる日まで、ちっとも知らなかった。


 この手紙は、その監獄の窓から便箋を紙飛行機のかたちにして飛ばしたものだ。本当ならば、手紙を瓶に詰めて海へと投げ込みたいところだが、そう贅沢はいえない。ここではそんな大層なものは手に入らないのだから。これが誰かに読まれる日がくるかどうか。検討もつかない。大部分は、ここからそう遠くない海面上にポトリと着陸し、そのまま波に飲まれて、魚も興味を示さない単なるゴミと化すだろう。もし奇跡的がおこってこの手紙が風に乗り、誰かの手に届く日がくれば良いのだが。とにかくそんな日がきたら、この手紙の内容を、どんな手段でも良い、おおっぴらにしてくれ。これが信じられない内容だったにせよ、お願いだ。


 誤解しないでほしいが、さっき俺が「監獄」にブチ込まれている、と書いたからと言って、俺のことを凶悪な犯罪者だなんて思わないで欲しい。俺はそういう意味でブチ込まれているわけじゃないんだ。ボンヤリー・ジョウジンスキー。この名前に聞き覚えがある人間は、もはやいないだろう。だが、ここにブチ込まれる前、俺はちょっとは名の知れた作家だった。「ジョイス以来の革命家」、「文学におて21世紀の最大の発明はジョウジンスキーの『眠れる森の小鳥たち』だ」なんて誉めそやされたものだ。俺の出世作勝間和代十夜』が二〇〇九年のゴンクール賞を獲ってから、十年の間に二十五ヶ国語に翻訳された。俺はそういう作家だった。そして、今もこの監獄のなかに、作家としてブチ込まれ続けている。たったひとりの読者のために、雇われた最高の作家として。


 そして、その読者はちょうど俺の独房の隣に、俺と同じようにブチ込まれ続けている男だ。その男の正体を知ったら、もしかしたら、この手紙の読者は続きを読むのをやめてしまうかもしれない。しかし、その正体については紛れもない事実なのだ。ホーリエ・タカフミノフ。それがヤツの名前だ。いまだにヤツの日本風のニックネームが通用するとしたら、ホリエモン、と言ったほうが話は早い。世界を手にした男、歴史を変えた男、ホリエモン


 俺がここにブチ込まれる前の話になるが、俺は毎週水曜日の夜になると、ヤツの威光と活躍を伝える報道番組に釘付けになったものだ。そこでヤツは、カメラの前に立ち、何百回、何千回とテレビの前にいる「信奉者」に向かって演説を繰り返した。また、ヤツが世界各国の要人たちと会談する様子がテレビ画面に映し出された。二〇三二年、ヤツが当時の中国の国家主席と会談する間に、あの大国のシステムを共産主義から資本主義へと、およそ六〇年ぶりに書き換える瞬間の映像は、世界人口の九二パーセントが視聴していたはずだ。あの瞬間を目にしていない残りの八パーセントは、現実を見ようとしない共産主義者だとか、シャルル・フーリエのような空想主義者なんて揶揄されたものだ。


 しかし、俺はここに来て知った。あのとき空想主義者と揶揄された八パーセントが、現実を見ていたのであり、俺たちのほうが空想のなかに飲み込まれた盲人に過ぎなかったことを。俺たちは、だまされ続けていたんだ。現実と空想の区別がつかなかったのは、俺たちのほうだったんだ。現実のヤツは、世界の九二パーセントが知っているヤツの姿をもはや残していない――俺たちはなんて、無垢で素直な、空想主義者だったんだろう! 俺たちは二〇三二年に「彼は、本当に老いることを知らない人物だなぁ」なんて呑気に羨ましがっていた。だが、それはすべて技術によって作られたまやかしに過ぎなかった!


 現実はとっくの昔にヤツの体を蝕んでいる。ヤツはもはや自分で、自分の口から流れ出たよだれを拭くことすらできない、権威のかけらもない老人に過ぎない。おそらく娑婆にあるテレビ画面には、ヤツの仮想的な肉体の映像が映し出され、世界的な活躍が紹介され続けているのだろう。しかし、現実的な肉体は……。

 ボンヤリー・ジョウジンスキーによるものらしい手紙はここで終わっている。今なお、彼の消息はつかめないままだ。なお、彼の出世作勝間和代十夜』は彼が失踪してからも、さまざまな言語に翻訳され、現在では四八カ国の言葉で読むことができる。