純真無垢なる戦士、怪人アスタカの個人的闘争(四)
M山K三郎が赤子時代の怪人アスタカについて語ること(二)
しかしながら、生まれながらの構造主義者である怪人アスタカであっても、やはり赤子は赤子である。赤子は親の手によって育てられ、そして親は泣き叫ぶことでしか要求を伝えられないこの珍妙な生物を保護しなくてはいけない。いかに可愛い赤子であっても、そこには大いなる苦労が発生することだろう。このような営みは、地球上のあまねく動物において共通して見られることである。人によっては我が子可愛さのあまり、育児に伴う様々な苦労も喜びへと転じるそうであるが、果たして怪人アスタカはどうだっただろうか。彼もまた人並みに両親の手を煩わせ、困らせることもあったという。
赤子時代の怪人アスタカが特にその両親を困らせたのは、彼が母乳を一切飲もうとしなかったことであった。母、明日原早智子は当時、四五歳。周囲からは「あの歳で子どもを生むなどとは、ずいぶん思い切ったものだ」と密かに思われる年齢に達していたが、それでも母乳はたんとでた。その勢いたるや、かのパンタグリュエルがディプソード人の国に攻め入ったとき、勇猛なディプソード人の戦士たちを方舟をも流しかねない怒涛の小便によって打ち倒したときのようなものであったという。しかし、怪人アスタカは決してそれを口にしなかった。早智子が怪人アスタカの口に自らの豊穣なる乳首を咥えさせた途端、怪人アスタカは顔をくしゃくしゃにして泣き出し、喚き出した。それゆえ、早智子は自らの母乳を息子に与えるのを諦めざるを得なかった。
早智子はこれにうろたえたし、悲しみもした。もちろん、父である二代目明日原総一郎もうろたえたし、悲しんだ――母乳を飲もうとしない息子を目の前にして、落胆する妻の姿を見るのも甚だつらいものだった。総一郎は、なんとか息子に母乳を飲ませようとし、息子の目の前で、コップに搾られた妻の母乳を飲んで見せることもあった。「可愛いぼうや、こんなに美味しいものをどうしてのまないのだね? 」。総一郎がそう言いながら、コップの母乳を一息で飲み干すと鼻の下に蓄えていた十九世紀的なカイゼル髭が白く染まり、彼の威厳の象徴とも言えるそれを台無しにした。しかし、それはまったくの無駄な試みであった。
ある晩のベッドのなかで、早智子は総一郎にこう言った。
「なにがいけないのかしら……? 私の乳首からなにか変なものが出ているのかしら……? それとも形がいけないのかしら……? 」
総一郎は妻の沈痛な面持ちに心を痛めた。
「なに、心配することはない。君の乳首はであったときと同じで気品があって、重力にも負けていないよ」
彼はそう言いながら、妻の乳房に優しく手を伸ばした。「む? これは……」。そのとき、総一郎は自分の手のひらに包まれた妻の乳房のなかに妙なしこりのようなものがあることに気がついた。その感覚を確かめようと、彼は強く乳房を揉んだ。すると、小石の塊のような感覚が確かに伝わった。そこで総一郎はハッとし、すぐさまベッドから飛び起き、叫んだ。
「医者だ! 医者をよべぇ!! 」
このようにして夜分に千代田区にある有名な大学病院から医者が呼び出され、そしてその医者たちは明日原早智子の乳房に乳がんを発見した。幸い早期に発見されたために、大事には至らなかったものの、この騒動があって、結局のところ赤子の怪人アスタカは一度も母乳を飲むことなく乳離れの歳を迎えてしまった。
赤子の怪人アスタカが、母親の乳がんを伝えようと母乳を拒否したのかどうかは、本人の記憶にもまったくないというのだから実証するべくもない。だだし、本人の意思の如何によらずとも、赤子の怪人アスタカが母乳を拒否したことによって、母親の危機を救った、という事実は紛れもなく存在している。災い転じて、福となる。このエピソードを紹介したのは、これが怪人アスタカが生まれて初めて人を救った出来事であることを世に知らしめるためである。怪人アスタカは、ひと筋縄ではいかない人物であるが、それは赤子時代からしてそうだったのだ。
追記;筆者都合により、連載を休止します*1。
*1:今後、ブログで小説を書くことはないと思います