sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

屍の上に家が建つ

 井戸から汲み上げられる水は不思議なもので、夏場は手をさらしておくと指先の感覚を失うほどに冷たく、逆に冬場は温く心地よい温度になる。私は幼稚園に入るまでの間、水道の蛇口をひねったときに出る水とは一般的に、そのように気温とは真逆の変化を示すものだと思っていた。そして、その記憶には機械式ポンプが動作する音も付随している。ポンプは庭に掘られた穴のなかに収められ、そこには重い金属の板で蓋をしてあった。それはさながら古代の墳墓のようであり、蛇口をひねる度に地面の底から聞こえてくるモーターとベルトの回転音と振動は死者の呻きのようにも思われて、夜などはひどく不気味に感じた。
「そだごどばっかりやってしゃばぐっでっど、ポンプど一緒に閉じ込めっちまうぞ!」
 私がなにか嘘をついたり、いたずらしたりすると祖母は、顔を真っ赤にしながらそう言って私を叱りつけた。すると私はすぐさまに、暗く湿った穴の中に押し込められ不気味な唸りをあげるポンプと一晩を過ごす恐ろしい想像を抱いてしまい、泣きながら祖母に詫びるのだった。「ごめんなさい……もう石油のなかにおしっこしたりしません。許してください」――当時の私は科学者に憧れていて、「実験」と称したいたずらを数多くおこなっていた。ストーヴの燃料となる灯油のなかに、自分の小便をいれれば何らかのアラビアを発祥とする錬金術的な化学反応が起こるのではないか……、包丁を強くガスで炙って叩けば妖刀のような切れ味になるのではないか……。まったく自分のことながらこどもの想像力は計り知れない。
 かのように思い出深い井戸も家の建て替えの際に潰され、我が家では新たに市の水道を引くこととなった。当時、私は小学5年生だったと記憶している。しかし、このときの工事で何十年かぶりに蓋を開けられた、ポンプが収められた穴から見つかったあるものが大変な騒動を巻き起こした。工事を頼んだ工務店の作業員がポンプの穴を塞いだ錆だらけの金属の板を重機で持ち上げたときである。なんとそこから、一体の白骨死体が見つかったのだ――ちょうどそれはポンプを抱きかかえるような格好で存在していた。にわかに漂い始めた犯罪的な臭いに、私たち家族が驚愕したのは当然のことである。平凡極まりない民家の庭先から死体が発見されるなど、一体誰が想像できるだろうか。
「鹿ノ畑のキヨちゃんを呼ばっぺ!」
 警察を呼べと言う父の声を遮って、祖母は叫んだ。


 「鹿ノ畑のキヨちゃん」とは、祖母の遠縁にあたる男で、本当の名前は笹谷原清と言った。彼は私の家から随分離れた、周囲には民家も街灯もない道をずっといったところにある青いトタン葺きの家屋にひとりで住んでいた。通例「キヨちゃん」と言えば女性を指し示す呼び名であったが(祖母の交友関係にはもう1人「久保のキヨちゃん」という人物がいたが、こちらは女性である)、彼が何ゆえそのように呼ばれたかと言えば、彼がいわゆる「オカマの人」だったからだ。と言っても、鹿ノ畑のキヨちゃんが大都市の歓楽街、新宿に勤めを持つようなプロフェッショナルのオカマだったわけではない。先天的に与えられた性を――先天的にか後天的にかは分からないが――逆に認識してしまっているだけの話で、髭の痕跡が青く浮かんだ顔に白粉を叩き、豪奢なフリルが着いた純白のワンピースを着て、女言葉を使うという「だけの」少し風変わりな人物として扱われても良かったように思う。
 しかし、そのように一般的常識からズレた個性を持つ人物に対する風当たりはとても強かった。鹿ノ畑のキヨちゃんが桃と林檎の畑に囲まれた孤立した場所に住み、安定した仕事にも就けず、夜な夜な他の家の畑に植えてあるキャベツや大根などを盗んで糊口をしのがなくてはならなかった要因は、おそらくそこにあったのだろう。彼の家へと正月や祭事のときに作られる餅や赤飯を持っていったことがあったが、そのとき私が垣間見た暮らしぶりはほとんど野人同然だった。彼の生活のなかで人並みに美しかったのは、何着も持っている純白のワンピースにだけだったに違いない。そのうちの何着かはいつも彼の家の軒先にあった竹竿にかけて干され、降伏を告げる白旗のように風に揺られていた。
 普段は皆から疎まれ――遠縁にあたる我が家にしてもそうだった――腫れ物に触れるかのような扱いを受けていた鹿ノ畑のキヨちゃんだったが、時折彼の存在が必要とされる場合もあった。実のところ彼は霊的な感覚を持ちあわせており、迷信深い年寄り連中の身の回りになにか不可解な出来事があると、彼の言葉を求めたがったのである。「アンダ、去年死んだ犬の供養してねべ、それが悪りぃなあ。いますぐ医王寺の坊さまのどごさ言って、おがんできてもらえ」、「西にタンスをおぐのは悪ぃんだぞお」。鹿ノ畑のキヨちゃんは、言葉を求めて家にやってきた年寄りの顔色を見るとすぐ的確な霊的助言をした。そして、そのお礼を受け取ることで、生活に必要な現金を工面したのだった。
 あるとき一度、私は「キヨちゃんは、どうして何でも分かってしまうの?」と訊ねたことがある。すると鹿ノ畑のキヨちゃんは「オナゴってのはよ、子宮でモノを考えんだ。普通の人は、それをちゃんと分かっでね。ちゃんと、子宮を使えでねんだな。オラみでに、一生懸命子宮を使って考えるど、なんでもわがっちまうのよお」と教えてくれた。もちろん鹿ノ畑のキヨちゃんは持たないはずだが、彼の内臓には想像上の子宮がしっかりと備わっていたのだろう。胎児にとって子宮が世界の始まりなのだとしたら、彼の想像上の子宮は霊的な世界との交信を図るための入り口だったのかもしれない。
 祖母が鹿ノ畑のキヨちゃんを呼ぼうとしたのも、何か助言をしてもらおうというつもりだった。ポンプを抱きかえるようにして見つかった白骨死体は一体何なのか?何の前触れなのか?――祖母は、死体を不吉な出来事の前兆のように思ったにちがいない。


 当時既に還暦が近かったはずの鹿ノ畑のキヨちゃんは、貧しい生活のせいなのか早くも腰が曲がり始めており、ゆっくりとした足取りで1週間後には解体される予定だった我が家にやってきた。そして、ポンプと一緒にそのままにされていた誰のものかも分からぬ亡骸を見るなり言った――「あらあら、これは、綺麗なガイコツだごど」。それはしばらく会っていない友人に偶然出会ったときのような、とても穏やかで、不穏な様子などない声だった。むしろ、心配のあまり祖母の方が不安を掻き立てるような声になっていた。
「こだの見つかって……なんか悪ごとネのがい?」
 祖母は震える声で鹿ノ畑のキヨちゃんに訊ねた。
「さすけねよお。このまま、家建でっちまってもかまね」
 白いワンピースを着て着た鹿ノ畑のキヨちゃんの姿は、高原のサナトリウムで療養中の少女がもつ儚い美しさとはまるで無縁の奇妙なものだったが、それでも笑いながら彼がそう言ってくれたことは祖母を安心させた(本当のところを言えば、これで一番に気を落ち着かせることができたのは誰よりも父だったのだが)。
「ただな……」
 鹿ノ畑のキヨちゃんは一瞬顔を曇らせて、言葉を繋いだ。
「後ろの小川さんゼに勤めでる、橋本って男がいるはずだ。歳は、40、50近えのがなあ。背の小っちゃこくて、ズル賢そうな目した男だな。警察の人さ、来てもらってソイヅの話聞いでけろ」
 鹿ノ畑のキヨちゃんは、そこまで言い終えると「じゃ、まだない」と言って畑に囲まれた青いトタン葺きの家へと戻っていた――もちろん、祖母からティッシュペーパーに包まれた5000円札を受け取るのは忘れなかったようだが。
 残された私たちには、彼の言葉の意味がよくわからないままだったが、祖母は彼が言ったとおり、パトカーに乗ってやって来た3人の警官たちに我が家の後ろにあった小川造園に勤める橋本という男を調べるように要求した。当然警官は何も事情を知らなかったから「その橋本という人、知り合いなんですか?」とか「何か心当たりがあるんですか?」などと祖母に訊ねた(何もなければ、取り調べなどできないのだろう)。しかし、祖母は「鹿ノ畑のキヨちゃんがそう言ったんだ」としか言わない。警官が何を訊こうとも、祖母は駄々をこねる子どものように「鹿ノ畑のキヨちゃんが……」と繰返し、涙さえ浮かべたのだ。祖母の相手をしている警官たちが次第に困惑していくのが、祖母以外の誰の目にも分かった。
「わかりました。では、橋本という人をここに連れてきてもらえますか?」
 警官たちも気が折れてしまったのか3人のなかで一番年長の者が、腰をかがめ自分の目線と祖母の目線を同じくして言った。こうして、小川造園から橋本という男が連れてこられたのだが、鹿ノ畑のキヨちゃんが言ったとおり、彼は本当に背が低く(当時の私はクラスで並んだときに後ろから3番目ぐらいの大きさだったが、橋本の背はそれよりも低かった)、隙あらば何かを掠め取っていきそうなズル賢そうな目をしていたことに私は驚いた。その後の顛末は、もはや語るに当たらない。穴の中でポンプを抱いたままでいる白骨死体を見せられた橋本はその場に泣き崩れながら、10年以上前に強姦した後に首を絞めて殺した女の死体をここに隠したのだ、と白状した。


 そして、ポンプが埋まっていた穴は井戸と一緒に埋められ、我が家の立替工事も滞りなく進んでいった。
 その後しばらくは鹿ノ畑のキヨちゃんの霊的能力がまた活躍したという話が近所の話題にのぼることがあったけれども、だからと言って彼の扱いが劇的に変ったわけではなかった。それは彼の方でも理解していたことだったと思う。自分の能力がなにかの役に立ったからといって、自分が「許された」わけではない。たとえ一時的に自分に対する世間の視線が和らいだとしても、いずれそれは元の冷たいものに戻ってしまう。そうであるならば、元より変化などないほうが好ましい――そんな風に考えていたのかもしれない。彼はその後も相変わらず周囲を畑に囲まれた家にひっそりと住み続け、他人の家の野菜を盗んで暮らすことを辞めなかった。


 工事が終わる頃には、鹿ノ畑のキヨちゃんの話などもう誰もしなくなっていた。