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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

クリント・イーストウッド監督作品『父親たちの星条旗』

父親たちの星条旗
父親たちの星条旗
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 ゴールデンウィークの締めくくりに『父親たちの星条旗』を観る。イーストウッドが出演していない彼の監督作品を観るのは実のところ初めてだったのだけれど、言うまでもなく大傑作。ホントにすごい映画に出来上がっている。「戦争は悲惨だ」、「戦争はダメ、絶対」というメッセージを伝えるところに留まらず、痛烈かつダークなマスメディア批判を含む問題作であると思う。こんな映画を、アメリカの、映画界(というメディア)にいる人間が撮ったのはひとつの事件として認識されても良い。
 映画は「硫黄島で戦った兵士が英雄に祭り上げられ、戦時国債のキャンペーンのために偶像のように利用される」というストーリーを大きな核として進んでいく。ここで描かれる「マスメディアの権力をめぐる問題」は、吉田喜重『血は渇いている』と共有されたものだと言っても良いだろう。
 効果的なのは「戦場という現実」と「マスメディアが用意した現実」との格差だ。戦場を離れキャンペーンに利用される兵士たちは、スタジアムや講堂、パーティ会場のなかに登場する。その場はとても華々しく、常にブラスバンドやジャズ・バンドの音楽によって彩られる。そこで彼らは英雄として登場する。しかし、彼らがいた戦場の回想シーンには、そのような華々しさなどこれっぽっちも存在していない。大砲が発射される音がする。着弾の音がする。砂が舞い上がる。兵士が死ぬ。この一連の流れが、延々と繰り返されるだけである。兵士たちは言葉もなく、静かに死んでいく。
 このコントラストはかなり衝撃的で、観ていてちょっとつらくなるぐらいなのだが、権力のおぞましさの掘り出し方(テーマの内容とともに、その方法の鮮やかさ)に頭の裏側をガツンと殴られるような気分になった。
 それからこの映画にイーストウッド本人が出ていたら、エンターテイメント性は格段にひきあがるのだろうけれど、ここまですごいと思わせる映画になっていなかっただろうな、とも思った。中盤ぐらいまで誰が誰だか見分けがつかないぐらいのキャスティング(ホントに『プライベート・ライアン』に出てたバリー・ペッパーと、インディアン出身の兵士役のアダム・ビーチぐらいしか見分けがつかない。みんな同じ格好してたりするし)だからこそ、成功したんじゃなかろうか。