ハワード・ホークス『三つ数えろ』
「作品が完成したとき、製作者でさえもストーリーを理解できなかった……」と伝説的に語られる作品である。この映画を観るのは2回目か3回目で、初めて観たとき「わっかんねぇ……けど、ドライヴ感だけはすげぇ……」と思ったのが印象に強い(そういう感想が私の貧しい映画リテラシーを露呈している)。しかし、「この映画で進行する、絡みまくったストーリーの線を一本一本辿ることで、それが映画を理解したことになるのだろうか?」などとも思う――今回観てみて、『三つ数えろ』ってすごく音楽的な映画なんじゃないのか、と思ったので。
といっても、これはミュージカル映画とはもちろん違う。たしかにマックス・スタイナー(リヒャルト・シュトラウスによって名付けられ、ブラームスにピアノを習い、マーラーから作曲を学んだ、という後期ロマン派の秘蔵子的な経歴を持つ映画音楽家であるらしい)が書いたスコアは実に洗練されていて、観るものの画面への注意力を何倍にも高めてくれ、音楽性も高いのだけれども、私が音楽的だな、と思う点はまた別である。
やはりこの映画のストーリーの難解さ、というか、ストーリーの追えなさの部分が音楽的であると感じる。特に、フランツ・リストが書いた交響詩を思い起こさせるんだよな。交響詩という形式では、テキストが用意されているのだが、テキストは作品上に現れず、抽象的な「流れ/運動」として聴衆の耳に届く――『三つ数えろ』も「流れ/運動」で鑑賞できるもんな。
いよいよ、グダグダな文章になってきたけれども、ラストのハンフリー・ボガードのまくし立てるようなセリフはカッコ良いよなぁ。