アドルノ『社会学講義』を読む(1)
- 作者: アドルノ,Theodor W. Adorno,河原理,高安啓介,太寿堂真,細見和之
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2001/07/01
- メディア: 単行本
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難解で知られるアドルノだけれども、学生に語りかける口調はとても柔らかで「これが同じ人間か!?」と疑いを持ちたくなるほど。様々な対象に毒物のように辛辣な言葉をもって批判をおこなったアドルノの姿はこの本のなかで見られることが無い。時折、ジョークも飛ばし、学生もそれに対して笑いをもって反応する。一方的な講義を展開するのではなく、アドルノ-学生の間には対話のような関係が生まれているのが興味深い。講義の内容を録音したテープを厳密に文章化したという本の性格から来るものかもしれないけれど、かなり「生っぽい講義録」になっている。講義録はアドルノの死後、30年以上経ってから発表されたもの。厳密に言ってそれはアドルノの作品ではないのだが、こういう本の作り方もまた“アドルノらしさ”に則ったものであると言えると思う。
アドルノが講義を始めようとするとき、よく教室のマイクの調子が悪くなる。すると当然、学生たちにはアドルノの声が聴こえにくくなる。その瞬間、学生たちから「シュー」というヤジが飛ぶ。またあるとき、アドルノが学生たちにとって奇妙に思われることをポロッと言ってしまう。するとまた学生から「シュー」というヤジが起こる。当時のアドルノといえば、フランクフルト大学社会学研究所の所長でもあり、かなり影響力を持った思想界の大御所である。その彼に対して容赦なくヤジを飛ばし、嘲笑さえしてみせる学生たちの態度には「1960年代」という時代が表れているように感じた。学生の嘲笑を軽く受け流してみせるアドルノもやはり相当なものだけれど。
肝心な講義内容も涙が出るほど面白いので、簡単に読み飛ばしてしまわないようにメモ的な感じで読書過程を書き記してみようと思います。今回は導入として。
追記;なんかあっさり読み終えてしまったのですが、終盤は学生とアドルノとの関係がかなりヤバいことになっていて全く対話的関係とは呼べないものとなっています。この学生の暴走もまた、アドルノ的に読まれるべき内容だと思いました。