フィエスタ
久しぶりにヘミングウェイを読む。短編の全集を読んでとても好きになった作家なので、長編もちょくちょく読んでいる。高見浩の訳はかなり現代っぽい日本語になっていて読みやすい。内容も「禁酒法時代のアメリカを脱出し、フランスで生活する壮年期の人々」が描かれていて、ロスト・ジェネレーションっぽいせいかフィッツジェラルドの洒落た世界観に通ずるものをより多く感じさせる。ヘミングウェイを大久保康雄訳で読むのと高見浩の訳で読むのとでは「ロスト・ジェネレーション」という括りに対してだいぶ異なった思いを抱かされるのではないだろうか。
晩年、事故によって体に自由が利かなくなり、不幸のどん底に突き落とされたヘミングウェイだけれども、ノーベル文学賞を取っているだけあって書くものの立派さについて平伏してしまうような感覚を読むたびに覚える。それは処女長編である『日はまた昇る』でも同じで尊敬するばかりだ。フランスの街やスペインの闘牛祭、そういったものを私は直に経験したことはないのだけれど、ヘミングウェイの描写は彫刻のようにそれらの描写を浮かび上がらせる、というか。
また「暗示的な書き方」が多くなされているのだけれど、それらの暗示を繋げるのもとても上手い。この本の「あらすじ」の部分には「第一次世界大戦によって性交不能者となったジェイク(主人公)は……」とネタバレも甚だしいことが書かれている。が、本編の中には一言も直接的にジェイクが不能者であることは書かれていない。しかし、最初から不能者であることのヒントがちゃんと書かれているのである。当たり前のことかもしれないけれど、事実的なものを隠蔽しながらそれを読者に気付かせる筆力には唸ってしまった。主人公が不能者であること意外にも「戦争の暗い影響」というのが第一部ではいたるところに落ちているのも感じる。
個人的にやはりヘミングウェイの描く人物の屈折したところ、というか人間的な弱さがものすごく好きである。ジェイクに関してもそうだ。これはかなりグッときてしまう。昼間はハードボイルドに振舞いながら、夜一人になってしまうとウジウジと悩み出す。「ああ、俺はなんでこんな怪我をしてしまったんだ!」と悶々としている。そのどうにもならない感じが良い。ジェイクが不能であることは完璧な幸福を阻害してしまっている。それらはもうどうしようもないのだけれど、ジェイクは忘れたりせず、正直に嘆いたりする。この正直さがとても好きだ。その正直さは女主人公的な登場人物、ブレットにも通ずるところ。「あなたのこと愛してるんだけれど、あなたとセックスできないもん。一緒にはなれないわ」的なことを正直に言ってしまうのが好き。笑ってしまうけれどね。
あと最後のほうにある若い闘牛士の見事な演技の描写は、カッコ良すぎ。興奮しました。