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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

菊地成孔・大谷能生 『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究』(下)

『M/D』下巻は第二期黄金クインテットから電化マイルスを経て、引退、そして復活からマイルス・デイヴィスの死までを取り扱います。楽器が電気楽器化した「電化」というタームに対して、磁気テープによる録音テープの編集によって楽曲を制作する「磁化」というタームが導入され、マイルスがテオ・マセロと組んで(あるいは、テオ・マセロが勝手に編集したり)世に送り出した《魔法》にも触れられます。前半はマイルスのパーソナリティやアイデンティティへの言及が多かったですが、後半はそうして説明された「マイルスという人間観」に基づいた行動分析もより盛んになっている印象が。とくに復活後、セレブ化に成功し「ヒットチャート上位を狙って若作りをする還暦アイドル」として振る舞おうとするマイルスは、とにかくなんだか面白いオッサンとして扱われているように思われ、《伝説》とは言われながらも実にチャーミングな人間像が描かれます。この面白感は「マイルスの発展史=モダン・ジャズ史」という歴史観に対するアンチ効果もあるでしょう。伝説からマイルスが乖離することによって、マイルスは歴史の威光から上手く脱臼されていく、みたい。また、こうしたマイルスの痛い人間性が彼が背負った肉体的な痛みと併存している、という指摘も言葉遊びのようですが上手い表現だなあ、と。


復活後のマイルスの音楽は「何年寝かせても復活後のマイルスは聴けないのでは……」と思わせるものがあり、そこもこの本の鋭さになっているように思いました。再評価によって、いつの間にかニューウェーヴや80年代ポップスが聴けるようになること(耳にダサくなくなること)。こうした聴覚の変化を待つこと=寝かせることだと思いますが、マイルスの場合、あまりに独特なので同時代の音楽と同じように再評価されないのでは……と。今頭の中で「Time After Time」や「Human Nature」を再生しても、やっぱり、これはどうして良いかわからない……と思いますし。




(あれ、意外に平気になってるかな……)

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http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20110828/p2