sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

山下達郎/Ray Of Hope

(現時点でのアマゾン売り上げランキング1位! そんな商品がこのブログで紹介されたのははじめてかも)まず一言申しあげておきたいのは今回の山下達郎の新譜、買えるなら初回限定盤を買った方が良い! ということ。限定盤には80年代・90年代のライヴ音源が収録されたボーナス・ディスクがついてくるんですが、これがホントにすごい音源で。とくに85年の音源は、当時32歳の山下達郎の天使的、かつ圧倒的な歌唱力と声の瑞々しさが素晴らしくド肝を抜かれました。ド肝が自分の内臓のどの器官を示しているのかはわかりませんが……。

ネット上にはこんな記事もでており、アルバムを聴く前に読んでしまって甚だしく後悔したものですけれど、さすが菊地成孔、というか記事自体はとても面白かった。菊地はエイジングという文脈で本作を語ろうとしています。で、その老いというのは前述の1985年のライヴ音源と比べても感じられる点なのかと。はっきり言ってこの時期の声の輝きは、同時に収録された90年代の音源と比べてもスゴいんですよね。精神的な老いはある日突然にやってくるのかもしれないけれど、肉体的にはやはり毎日老いていってしまう。しかし、それは170キロの球を投げる人が150キロしか投げられなくなった、ぐらいの世界の話。音のクオリティは、商品性と芸術性を併せ持つものとして通用する「いつもの」レベルです。こうした山下達郎の評価はもはや揺るぎないものと言っても良いでしょう。


前述の記事では、山下達郎とファンの箱船性についての言及も興味深いものです。これは山下達郎の歌詞の世界とも親和性があるように感じられました。今年は大滝詠一の『ロンバケ』30周年ということで再発盤が出ていましたが、そこで聞くことのできる松本隆の歌詞と比較すれば、あきらかに山下達郎の歌詞には世界の閉じがある。「薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かべて……」(「カナリア諸島にて」)と松本隆が外の世界の描写を詩的に切り出してくるのに対して、山下達郎の場合、風景の描写は内面のメタファーとして持ち出されている、と。ひとつの達郎的小世界が一曲一曲のなかで展開される、と言っても良いのですが、これは聴き手をその世界に連れ込む、というよりかは、そうした世界の囲いのなかに閉じ込める、という表現のほうが適切かもしれません。箱船性と世界の閉じはその点でつながるのです。これが『サマーウォーズ』などのセカイ系とよく馴染むことは言うまでもないでしょう。