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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

芥川作曲賞創設20周年記念 ガラ・コンサート〈室内楽〉サントリー芸術財団委嘱作品 (サントリー芸術財団 サマーフェスティバル 2010〈MUSIC TODAY 21〉) @サントリー・ホール ブルーローズ

曲目と出演
高橋裕(1953−):“アハウ・カン”〜無伴奏ヴィオラのための(2003/2010)  改訂初演 ヴィオラ=須田祥子
山田泉(1952−99):ヴィオラのための「素描」(1995)  ヴィオラ=須田祥子
菊地幸夫(1964−):「晩祷」〜ピアノのための(2010)  ピアノ=渡邉康雄
猿谷紀郎(1960−):「露の台(つゆのうてな)」〜ヴァイオリン独奏のための(2010) ヴァイオリン=松原勝也
江村哲二(1960−2007):インテクステリアNo.9 op.15(1995)  サクソフォン=大石将紀
伊左治直(1968−):マイザレーム〜独奏チェロのための(2003)  チェロ=多井智紀
権代敦彦(1965−):ピアノのための「無常の鐘」(2009)  ピアノ=有森直樹
川島素晴(1972−):尺八のためのエチュード(2010)  尺八=藤原道山
伊藤弘之(1963−):ソプラノ・リコーダーのための「サラマンダーII」(1995)  リコーダー=鈴木俊哉
菱沼尚子(1970−):満月の夜にIII for piano solo(2010)  ピアノ=山田武彦
望月京(1969−):インテルメッツィ2(2002)  筝=吉村七重
原田敬子(1968−):アコーディオン独奏のための「BOOKI」(2010) アコーディオン=シュテファン・フッソング
夏田昌和(1968−):先史時代の歌I〜ヴァイオリン・ソロのための(1999)  ヴァイオリン=甲斐史子
山本裕之(1967−):パルラータI,II,III,IV(1999−2010)完全版初演  トランペット=曽我部清典
三輪眞弘(1958−):NEO都々逸(2009)共作=左近田展康  キーボード=岡野勇仁
斉木由美(1964−):CONFESSION(1995)  ピアノ=山田武彦
糀場富美子(1952−):「ルブリョフの扉」独奏ヴァイオリンのために(2004)  ヴァイオリン=戸田弥生
小出稚子(1982−):   「西新宿ブルース」(2008/2010)  改訂初演 トロンボーン=村田厚生
法倉雅紀(1963−):「炎(かぎろひ)の」第五番〜ピッコロ独奏の為の(2008)  ピッコロ=永井由比
藤倉大(1977−):SAKANA for tenor saxophone(2007)  サクソフォン=大石将紀

 サマー・フェスティバル6日目は芥川作曲賞20周年記念ガラ・コンサートの室内楽編。二部に分けられてこれまでの19回までの受賞者、20人(第3回が受賞者2人)の独奏曲を一気に演奏するというフェスティバルらしい企画でした。都合により演奏されたのは19曲でしたが、まあ1日でそれだけの曲数の現代音楽を聴く機会もあまりないでしょう。どっしりと疲れましたが良い経験でした。第一線で活躍している作曲家がこうして一堂に会する機会もなかなかないのでは? いろんな方がいらっしゃるわけで「こんな人がこの曲を書いたのかあ……」と意外に思う瞬間もある。小ぎれいなご婦人がなんかものすごくパワフルな曲を書いてたり、性差別的な発言かもしれないけれど、びっくりしますよね。


 ただ、これだけの曲数を聴いていると「どうしてこう皆さん示し合わせたように芸術然とした音楽を目指すのだろう?」というところに疑問が湧いてくる。曲を聴いても、解説を読んでも大半がなんというか「深遠なもの」を志向しているように思えるのです。深遠な作品からは自ずから、笑ってはいけない空気を出している――なかには明らかに「変」、な曲とかあるのに。そういうのがキツかった。だってさ、ピッコロ奏者がピッコロをひたすらオーバーブロウして邦楽風の音を出しつつ、しかも吹きながら短歌を詠む、って明らかに笑える感じじゃんか。ローランド・カークか、と。ある種の現代音楽の身振りがファニーな感じになっていることに無自覚で深遠さを目指すのってなんか滑稽だなあ……と思えました。


 そういうこともあって川島素晴三輪眞弘、小出稚子らのユニークな作品はとても新鮮に感じました。他には、山田泉の作品が感情のうねりみたいなものを荒々しく一筆書きしたようですごく強烈でしたし、江村哲二の作品の様々な特殊奏法を縦横無尽に駆け巡っていく様子であるとか、伊左治直の作品のまるでジョン・フェイヒィ的な世界観が印象的。好きだなあ、と思った作曲家についてはいずれCDを買って聴こう、と思いました。