イエイツの『記憶術』を読む #8
第十章 記憶術としてのラムス主義
前章ではジョルダーノ・ブルーノが魔術的記憶術によって実現しようとした壮大なプロジェクトについて触れましたが、ルネサンス期には記憶術陣営の盛り上がりに対抗するようにして、反記憶術の動きも勢いをましていました。この章はその反記憶術陣営の代表として、ピーター・ラムス(ピエール・ド・ラ・ラメー)というフランスの思想家がとりあげられています。この人もなんかすごい人で、1515年に生まれて、1572年サン・バルテルミーの虐殺に巻き込まれて死亡……という歴史の犠牲者みたいな人です。彼は教育者としてさまざまなメソッドを簡素化し、再構築するような仕事をしていたみたい。それがスコラ哲学の複雑さを一掃する手段となるだろう、とプロテスタントには歓迎されたらしいです。
ラムスがおこなった教育方法の簡素化のひとつには、記憶術の撤廃も含まれていました。「場にイメージを埋め込む」という例のアレは、記憶するものごとを「弁証法的序列」によって配列して記憶ことによって代替されるから不要と考えたのです。この弁証法的序列というものですが「まず主題の『一般』もしくは概括的諸相から始まり、そこから一連の二分法による分類が続いて、『特殊』もしくは個々の相へと下っていく」(P.274)という順番で知識が並べられ(この弁証法的序列、知識をクラス図のように体系化したモノに近いように思われます)、これをたどることによって物事を記憶することができる、とラムスは主張します。前述したとおり、これが新しい記憶術や! とラムスは言う。しかし、ラムスの弁証法的序列には古典的記憶術のなごりが認められます。知識の順序だてた配列は、アリストテレスやトマス・アクィナスも伝統的教則として採用していました。
しかし、ラムスの弁証法的序列の特徴はほかにある、とイエイツは言います。そのシステムは「感情に訴えかけてくる刺激的なイメージが姿を消してしまう」(P.276)のです。伝統的な知的慣習においては、記憶する対象はある種の寓意的なイメージを記憶することで思い出されますが、そういった方法が一切放棄されます。これによりラムスは自分の弁証法的序列の合理性を主張しました。ただし、ラムスの思想の背景をみてみると、彼が準拠していたものは「太古の知恵」であり、神秘主義的なものである、とイエイツは言います。だからラムスの思想とブルーノの思想は、ルネサンス後期の対立する2極となる、ということを彼女は強調しています。
第十一章 ジョルダーノ・ブルーノ――『秘印』の秘術
ここから話はまたブルーノに戻ってきます。主題はブルーノが『イデアの影について』のあとに書いた『記憶の術、および想像の領域を渉猟する術。諸学問と芸術のあらゆる構想、配列および記憶のための三十の秘印解説。精神の全機能を比較、検討するに最も資する〈秘中の秘印〉(の説明)。これで諸君は、論理学、形而上学、カバラ、自然魔術、大いなる術、および小さき術により、どんなものであれ理論的に究められることを容易に学ぶであろう』というタイトル自体に記憶術を使いたくなる著作(略して『秘印』。1583年に出版)についてです。この本のなかにはタイトルにもあるとおり、30個の図形が用いられています。これが秘印です。しかし、これを使ってブルーノはなにを試みようとしていたのでしょうか。イエイツはこんな風に分析しています。
彼は記憶術と占星術という二つの思想体系を動かそうとしているのである。記憶術の伝統にしたがえば、すべてのものはイメージによって首尾よく記憶され、しかもそれらのイメージは印象的であり、感情に強く訴えるものでなければならず、お互いに関連性をもつべきとされていた。そこでブルーノはこういった原理に則りながら、記憶術体系を占星術体系に結びつけ、魔術的な力をもったイメージや「準数学的」もしくは魔術的な場、そして占星術がもつ連鎖的序列を用いてこの記憶術体系を動かそうとしているのである。こうして彼は、ルル的組み合わせとカバラ的魔術を融合させているのだ。
さて、話がいよいよオカルトめいてきましたが、これはどうやらブルーノの思想の序の口に過ぎないようです。30の謎めいた秘印の奥には、〈秘中の秘印〉が存在し、これを体得しなければ宇宙霊魂/第一者/神的な統一体と我々は結合されえない。どうやらブルーノはそんな風に考えていたらしい。しかし『秘印』が最初に出版されたイギリス(エリザベス朝)では、すでにプロテスタントの教育家が力を発揮しており、反記憶術派であったエラスムスの影響も強かったのです。だから、この理念は反発をもって迎えられただろう、とイエイツは言います。この当時のイギリスにおいては、ジョン・ディー(錬金術師であり数学者であり……という人)がブルーノと共鳴するような思想をもっていたそうです。
『秘印』は一部にしか受け入れられませんでしたが、ブルーノの思想の基盤を作る重要な書物であった、といったことを確認し、次章に進みます。
(続く)