第5回JFC作曲賞本選会 @トッパンホール
縁あってJFC(日本作曲家協議会。会長は小林亜星)主催による若手作曲家コンクールの本選演奏会を聴きにいく。今回のコンクールで応募があったのは16作品。本日はそのなかから審査委員である近藤譲により4作品が選ばれて演奏された。本選に残った作品は以下の通り。
折笠敏之:《Les Transitions》
前田恵実*1:《kyo-奏曲》
清水卓也*2:アンサンブルのための《三十六角柱の表面にある宇宙》
山本和智*3:《半径50m》
4作品とも違ったタイプの作風で、とても興味深かった。仮に「現代音楽界の地図」を作るとするならば、4人の作曲家はそれぞれまったく違う場所にマッピングできそうである(強いて言えば、清水作品と山本作品が一番距離は近かったか……?)。
演奏された順番に、聴きながら思ったことなどを記しておくと、まず折笠作品は「典型的なテキストとしての音楽」といった趣を感じた。響きはまろやかなもので、複数の素材が重なり合い、線的に発展していく――思い起こしたのはピエール・ブーレーズの《弦楽のための本》。座った席が悪かったせいか、細部で何をやっているのかがわからず、もやもや〜という感じで終わった。第二ヴァイオリン、ヴィオラは一生懸命弾いてるけど、音が全然聴こえない。作品解説によれば「『書法』の追及」が意図されているということだから「聴こえなくても良い」ってことなのかもしれない。4作品のなかでは最も伝統的な印象。
これに対して次の前田作品は「ポスト・ゲンダイオンガク風」という感じ。晦渋な響きが続くわけでも、特殊なことをやっているわけでもないが、調性に回帰してメロディを書くわけでもない。この手の音楽は、ものすごく乱暴な言い方をすれば「新しい印象主義音楽」とでも言っておくとしっくりくるのかもしれない。前半は少し退屈したが、後半で音楽の運動量が増えてきたあたりはとても楽しんだ。
3曲目の清水作品は、ポスト・セリエル的な語法をふんだんに取り入れた、彩り鮮やかなもの。指揮者は2人で、ポリテンポ。特殊奏法。さらに指揮者の片方は途中で指揮棒を放り投げる……などの演劇的要素も盛り込まれている。直感的なイメージとして「加速度」や「スピード」といった、速度を感じる音楽のように思った。ここまででは一番好きな作品。だが、私の貧しい耳では聴き取れない部分もあった。
最後に作品が演奏された山本和智は、昨年の武満徹作曲賞(審査員:ヘルムート・ラッヘンマン)で第2位を受賞している。そのときの作品を聴いたわけではないが「ああ、この人の曲ならラッヘンマンも喜びそうだ……」と納得がいく作品。特殊奏法、特殊楽器(小道具。テレビ、バスケット・ボール、麻雀の牌、舞台上に撒き散らされるピンポン玉!)、突如として挿入される引用風のフレーズ……など総じて洗練された印象があり、演奏会後に入った続報で今回の受賞作となったことを知ったときも「まぁ、順当か」という感じがする。しかし、すげー笑ったな……。笑った部分の印象が強く残りすぎて、他の部分をあんまり覚えていない。ラッヘンマンが彼の作品を評したときチャールズ・アイヴズの名前を出しているが*4、かなり的を射ているかもしれない。あと、シュニトケが書いた文章だったと思うが「現代社会における生活と、その生活のなかで聴こえてくる音のノイズ性、乱雑さ、カオス」に関する話をぼんやり思い出した。
ドラゴンボール、鳩山由紀夫、ねるねるねるね……山本作品で使用されたテレビの画面に映った映像を記憶のなかで反芻しつつ、飯田橋の立ち飲み屋で角ハイを3杯飲みました。