オザケンの射程、とか
この前、近所のブックオフで『LIFE』を買いました。音楽関係のブログでは、00年代の音楽総括! みたいな記事がせっせと書かれているのでしょうけれど、いまさら渋谷系のお話……とはいえ全然リアルタイムではなかったため、実はよく知りません。でも、久しぶりにこのアルバム聴いてみたら、記憶への定着力みたいなモノがハンパではないことに気がついて驚きました。リリースから15年も経っているのか……と思うとなんだか恐ろしいアルバムだなぁ……という思いが一層強まります。
個人的な思い出話になってしまいますけれど、2004年ぐらいでしょうかね、自分がこのアルバムを一番繰り返して聴いてたの、って(大学二年生でした。この時点でリリースから10年経っている)。当時すでに歌詞の中に織り込まれた言葉のところどころに「古臭さ」を感じていたように思いますが「このアルバムは自分の青春時代の音楽として、深く心に刻まれるのだろう」という予感がありましたし、実際振り返ってみるとすごく懐かしい。すると、レイドバックしてやってきた90年代を過ごしてたんじゃねーか、俺は、という不思議な感じもしてきます。
しかしながら、こういった体験をされている方って他にもいるんじゃないかな、と思うのですよね。少なくとも私の同年代の文化系の方々には、結構通じる話だと思うのです。そして、今回聴き直して気になったことといえば、リリースから10年経っても、リスナーの心を打つことができる“オザケンの射程距離”だったのでした。リリースから15年経った現時点でもその射程の範囲内にあるのか、どうか。昨年ぐらいから20世紀に活躍した大物たちが次々と亡くなり、ようやく“20世紀の終わり”を感じるようになってきましたが、もしかしたらオザケンの射程範囲外へと時間が進むこともまた20世紀の終わりを確認するためのマイルストーンになるのかもしれません。
あと一緒にカジヒデキ『ミニ・スカート』も買いました。こっちはまったく思い入れとか一切ナシ。
週末には ドライブするのさ
週末には 中華たべるのさ
日曜日は 少しゆっくりで
日曜の夜 キスして二人は
別れるのさ 週末まちどおしいよ
(WEEKENDERS)
こういう世界観のポップスって今あるのか? と思ってすごく感動してしまった。