ヴェーベルン、カーター、ヴァレーズ、ベリオを聴いた
Webern & Varese: Pierre Boulez Editionposted with amazlet at 09.12.16
引き続き*1、ピエール・ブーレーズ85歳&京都賞受賞記念CDセットのお話。今日はヴェーベルン、カーター、ヴァレーズ、ベリオの作品を収録したものを聴きました。6枚組(仕事が暇になったので家に帰って音楽を聴く生活を続けているのです)。これは雑多なまとめられ方をしたものだなぁ……という感じで、正直「現代音楽モノで、ハンパな枚数になっているのを抱き合わせて売ってやれ! 安ければ買うだろ!」という目論見しか感じられません。が、それはさておき廃盤になっていた(作品番号が付いているもののみ、ですが)ヴェーベルン全集がこの値段で手に入るのはお買い得感がありますし、買ってしまったのでした。まんまと乗せられてしまっているぜ!
ヴェーベルン全集はご丁寧に作品番号順に並べられており、なんだかお勉強みたいですが、久しぶりにドップリと聴いてみたら、とにかくあっという間に次の曲に行ってしまうので(ヴェーベルンの曲は一曲一曲がとても短いのです。グラインドコアみたいに)、大して印象らしいものが浮かんでこなかったりもするんですが、最後のほうでやたらと音質が悪い演奏が始まった! と驚いてライナーノーツを開いてみたら、1932年のヴェーベルン指揮による演奏が収録されていて「うほっ!」となったりしたのでした。彼が演奏しているのは、自身の編曲によるシューベルトの《ドイツ舞曲》。これが結構ヘタクソな演奏で(録音技術が貧弱だったせいで、弦楽器の人数が少なく、音程やアンサンブルの乱れがすごくわかる)和みます。演奏様式は19世紀的、というか。たっぷりとルバートをとって大変にロマンティックなものとなっています。バリバリの前衛音楽家だったのに、指揮は普通だ! というヴェーベルンのギャップにやられました。
カーターについてはよくわかりません。カーターの作品は昨年のピエール=ロラン・エマールの演奏会*2で聴いたことがありますけれど、そのときは対位法といったクラシックな技法に準拠しつつ、複雑なテクスチュアを鳴らす人……みたいな印象を抱きましたが、ここに収録されている《3つのオーケストラのための交響曲》もそんな感じ。ライナーノーツによれば、ニューヨークの詩人、Hart Crane*3の生涯にインスパイアされた作品らしいです。「3つのオーケストラによる複雑な相互作用は、巨大な都市の通りで生きた彼の生涯を示唆する」とかある。そんなことよりも、1908年生まれのカーターがどこまで生きてるのかに意識がいってしまいます。最近、101歳になったばかり。オスカー・ニーマイヤーと競争して欲しい。
ヴァレーズの作品は以前にリッカルド・シャイーの全集*4で聴いたことがありました。このエドガー・ヴァレーズという人は、西欧音楽史上初のパーカッション・アンサンブル作品を作ったり、電子音楽に手を出してみたり、あと、フリー・ジャズなんかにも興味を持っていたみたいで、アート・ファーマーやらテオ・マセロを集めてフリー・ジャズ・セッションを企画してみたり*5……とエピソードが豊富です。久しぶりに聴いたら、やっぱり面白くて。ストラヴィンスキー《春の祭典》の剽窃みたいな作品もあるのですが、新しい音の探究心の強さみたいなものが垣間見えるような気がします。例えば、新しい楽器の使用にしてもそうで、1928年に開発されたオンド・マルトノを1932年にはすでに使用しています(《エクアトリアル》)。
ベリオの作品集には、《セクエンツァ》からの編曲シリーズである《シュマン》などを収録。これはなかなか手ごわい相手でして、ベリオが書いたような20世紀の現代音楽を今後、どのように処理しなくてはいけないのか(20世紀が生んだゴミ(失言か?)として処理されても致し方が無かろう……)ということを考えてしまいます。連続する高速トリルや複雑なパッセージ、あるいは息の長いフレーズが様々に折り重なり、多層的な音響を生み出していく様子はとても面白いのですが……うーん。《セクエンツァ》全曲を聴きなおしてみたい気にもなりましたが、ちょっとベリオって私には難しいのかも……。簡単な作曲家ってなんですか、と問われたらそれはそれで困りますが。
*1:http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20091215/p1
*2:http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20080715/p1
*3:誰?
*4:永らく廃盤でしたが、これも今は手に入りやすくなったみたい
*5:このエピソードは村上春樹訳、ビル・クロウによる『さよならバードランド―あるジャズ・ミュージシャンの回想 』に載っています