うそつき村の残像たちへ
墜落したヘリコプターの乗組員が脳裏に浮かべた最後の映像が、彼が愛していた家族や恋人のものではなく、こどもの頃に駄菓子屋で食べた酢漬けイカの味であるとか、高校生の頃に毎日歩いていたあの道に通り雨が降った後のアスファルトの匂いであったなら、僕も少しだけ救われる気がする――とうそつき村の住民である松山田忠彦は言い、コップの底に残っていた氷をほおばってガリガリと音をたてながら食べ始めた。松山田がその「住民全員が本当のことを言ってはいけない村」に住み始めてから、三年が経つ。その間に、彼を取り巻く環境はすっかり変わってしまった。今では彼のことを信頼に足る相手だと思っている人間は、どこにもいなくなってしまった。
「嘘をつくことの利点は、誰にも信用されなくなることだ。信用されることの重み、それを実感することなく自由に生きることができる。わかるかい? それにね、人に迷惑をかけたり、傷つけたりする嘘というのは、それほど多くない。例えば、僕があるとき、別になんとも思っていない女の子に『実は僕、ストッキングを履いてじゃないと興奮しないんだ。いや、相手に履かせるわけじゃないよ。僕が履くの。家では、いつもストッキングを履いてオナニーしているよ。フローリングを相手にね』なんて深刻な顔で告白をしたりする。君が知っているとおり、僕の嘘は大抵の場合完璧で、誰もが騙される。きっと彼女も僕の告白を信じてくれるだろう。でも、それが嘘であっても本当であっても、誰に迷惑がかかる? そのコが僕のことを真性の変態なんだ、って思うだけで誰にも迷惑をかけない。それどころか『あのコはきっと僕のことを真性の変態だと思っているんだ』って想像するだけで、こっちとしては興奮しちゃうよね」
うそつき村の位置は明らかにされておらず、国土地理院が出している詳細な日本地図のどのページにも記載はない。松山田が主張するところによれば、上九一色村の村役場から西に十五キロほど言ったところにある枯井戸が、うそつき村への抜け道になっている、とのことだ(しかし、今や上九一色村も存在しない村になってしまった)。かつて上九一色村に在住していた修行者たちは、うそつき村のことを「第四八サティアン」と呼んでいた。性的にも意味深い数字で呼ばれたそのサティアンは、シャンバラ王国樹立のための重火器製造工場があったとも、この世に蔓延るすべての悪しき言葉を封じ込めた禁断の土地とも言われている。
うそつき村の十二月はとても寒さが厳しいため、関節が弱いお年より向けのひざサポーターの売れ行きが芳しく、都市部からもひざサポーター専門のセールスマンが大挙する。松山田も元々はそのサラリーマンのひとりだった。「おばあちゃん、こんなに寒くなると、朝なんかとくに膝が痛くなりますよね? これね、ウチの新製品なんですけれど、この膝を包む部分に特別なジェルが入ってて、すごく良いんですよ」。