sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

酔い(下)

http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20090425/p1
http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20090506/p3


「ラジオでも聴くかい?」
 スジコの家まで後数分というところで、彼は助手席に座り、俯いたままでいる女に声をかける。返事はなかった。それでもスジコはあたかも、前に訊ねた言葉など無かったかのように、自分がラジオを聴きたかったからそうしたのだ、とでも言うように、FMのスイッチをオンにした。本当は車内に立ち込めた緊張した雰囲気に、奮い立っていたテンションを削がれてしまうことを恐れてのことだった。FMの周波数を示す液晶ディスプレイが受信できる電波を探して、高速で動くのをスジコは視界の隅のほうで確認していた。この沈黙をかき消してくれるなら、なんでも良い、はやく音を、音を。そう願いながら。ディスプレイの数字が止って、チューナーが捉えた電波はNHKの昼のニュースだった。落ち着いた、しかし、無機質なアナウンサーの声が車内のふたりに遠く、海の向こうで続いている紛争で、アメリカ人のジャーナリストがふたり、戦闘に巻き込まれて死亡したことを伝えた。それらは車内にいるふたりとはなにも関係のない事実だった。「紛争だって。戦争は好き?僕は好きだな。だって人が死ぬのって美しいじゃない」とスジコは口にする。それらは無意味な言葉だったし、思ってもいない言葉だった。ただ、なんとなく沈黙を紛らわすために、そして、燃え続けている自分の気持ちの火を絶やさないためだけに口にした言葉だったのだ。それを証明するかのように、スジコの口から出た言葉は昔熱心に読んだ小説から無意識に引用した言葉が含まれていた。人の行動と言うものは焦燥を感じる状況でこそ、無意識が反映されるものだ。そうフロイトは言った。もしもフロイトが正しいならば、スジコは彼の学説を裏付ける貴重な実験材料となっただろう。しかし今や、ジークムント・フロイトは死んでいたし、スジコの言葉に呼応するのは静寂(しじま)ばかりだった。静寂、しじま、シジマ。そういえば、昔、清水エスパルスのGKにシジマールという人がいたが、彼はいまなにをしているのだろうか?ふぅ。ため息をひとつついて、スジコは次にCDプレイヤーの再生ボタンを押下する。するとマウリツィオ・ポリーニが弾くブーレーズのピアノ・ソナタ第2番が流れた。おそろしい強度をもった音列のひとつひとつがスジコを安心させる。ここでは意味のない音など何も存在しない、たとえそれらの音ひとつひとつが一般的な大衆的聴衆にとって無意味なものであったとしても。気がつくとスジコは、その音列のひとつひとつをなぞるようにして正確に口笛を吹いていた。「音楽史上、タキシードを着て演奏ができる最後のピアノ作品」と呼ばれた楽曲を口笛で再現するには、類稀な技術が必要だった。しかし、その恐るべき技術を認識するものはそこにはいない。あるのは、ただ……。思考の、そして音列が迷路のように操作された楽曲は鎌倉の入り組んだ路地にも似ている。ふたりを乗せた車はそうして路地に入り込んでいく。その路地のつきあたりにスジコの家があった。観光客をさけるように避けるようにしてひっそりと。


 女はずっと考えていた。運転席に座るこの男は間違いない。変態だ。それもかなりヤバいレベルでの。どうしよう、と。たしかにお金は欲しかったし、裸になって本を朗読するだけでお金がもらえるならばそれもまた良し、こんなかたちで“売り”をするのがきっとレア・ケースだろうけれど、大丈夫……きっと、と思っていたのは、車に乗る直前までの話だった。女は沈黙が恐ろしかった。ハンドルを握る男がずっと黙っていることが。大抵の男は、売り手である女に声をかけるものなのだ。「ねえ、なんで体なんか売るの?」だとか「最近、学校で何が流行っているの?」だとか、たとえばそういう類のことを。それらの言葉には見え透いた下心のようなものがあった。でも、男は無言だった。まるでこちら側に圧力をかけてくるみたいにして。しばらくタイヤがアスファルトの上をこする音だけが車の中にこだまする間に、女は考えた。考えてしまった。もし、わたしが、この人の気に食わないような朗読をしてしまったら……?もしかしたら……殺されるかもしれない……。運転席で沈黙を保つ男が、そういうことをしでかしそうな雰囲気はたしかにあるのだ。それに性的に不能で。女は思う。性的に不能であることが逆に変態的な欲求を生み出す原因になることもあるのではないだろうか。たしかにありそうな話だった。女は自然に思い出していた。半年前に新聞で読んだ事件のことを。新百合ヶ丘のファミレスで、自分と同じ年頃の高校生が楽しく歓談をしている間に、隣に座っていたなんの変哲もないサラリーマン風の男に突然フォークで目を抉られた、という惨事を。犯人はいまだ捕まっていない。女は直観によって推測した。あの事件の犯人は、実はこいつじゃないの?そうでなくとも、その犯人と似たような雰囲気をこの男は持っている。もしかして、友達とかだったりして。神奈川県全域にそういった変態たちの秘密結社があって、夜な夜な国道沿いのファミレスに集まって、変態的な会話をしながら、変態的に夜を明かし、挙句の果てに変態的なバンド活動をしたりするのだ!ああ!!女は心のなかで絶叫した。そういうわけで男がラジオをつけたときには、少し救われたような気がしたものだ。返事をしなかったのは、そうした安堵と緊張が複雑に入り混じった気持ちを男に少しでも伝えたくなかったからだった。男が不気味な口笛を吹き始めても、女はひとつも反応しなかった。


 リビングには壁に沿って、うずたかく本が積まれている。一冊一冊がまるで有機的に組織された形成物であるかのように組み合って天井まで届いたその山から、本を抜き取るのはその山の作り手であるスジコにしかできない業だった。しかし、その山の前に立ち、いざ女に朗読させるべき本を選ぼうとするとスジコは、彼女に何を読ませれば良いものか悩んでしまった。そもそもなぜ自分は「裸になって、本を読んでくれ」などという要求を彼女にしてしまったのだろうか。明らかにそういった要求が特殊なものであることは、スジコにも分かっていた。ただ、その瞬間にそういった要求が自然に自分の口から出てきてしまったのだ。いや、三五歳のスジコスミオではない、二八歳のスジコスミではない何者か、という人格がそうスジコスミオに言わせたのかもしれない。少なくともスジコスミオ自身には裸になって、本を読まれると、性的に興奮するような性癖を持たない。そのはずだった。にも関わらず、それを口にしてしまったことがスジコスミオには恐ろしかった。しかし、今となってはすべてが手遅れだった。それがでまかせに伝えた要求であったとしても、その要求は通ってしまっているのだ。とはいえ、そのでまかせのなかに、なんとなくそういった変態的な特殊な性癖を伝えることは、少しカッコ良いことだ、と勘違いをした気持ちがあったこともここでは指摘できるだろう。よくいるではないか。「俺ってさぁ、ドMなんだよねぇ!」と誇らしげに語る若い男性が。詳しく聞けば、そのマゾヒズムが単に女性から冷たい言葉をかけられる程度で興奮が呼び起こされるものであったとしても、それらの浅はかなカミング・アウトがある種の状況においてウケてしまう、ということをスジコは知っていたのかもしれない。そういったカミング・アウトにおいては、究極的なマゾヒズム――例えば、背中を剃刀で切られ、血液と愛液と精液と汗とか入り混じった状況でしか本当の快楽が得られない……というような――は半ば圧殺される。それはホンモノであるからだ。「俺ってさぁ、ドMなんだよねぇ!」と気軽に、無垢に言い放つ感性を前にして、ホンモノである人はホンモノであることを告白することができない。ホンモノであるがゆえに。おそらく、それは一種の抑圧、そして苦悩を呼び起こす性質を持つのである。


 女は男が本の山の前に立って、思いあぐねいている間にすっかり服を脱いでしまい、椅子に座って男が振り返るのを待っていた。男の部屋は日当たりが良く温かかった。衣服をすべて脱ぎ、傍らに綺麗にたたんで置いたとしても、少しも寒くなかった。そのおかげもあって、男の視線にさらされていない間、女は幾ばくか和らいだ気持ちになった。カーテンから漏れた光が、女の恥毛を変形したスポット・ライトのように照らしている。にも関わらず、そのおかしな光景(そんな光景はまず浅草か池袋のストリップ劇場でしか観られないだろう)に男が少しも気がついていない状況に女はにんまりとする。もしかしたら、男の変態的な性癖が自分に感染してしまったのかもしれない。そう思うと女は薄ら寒いような思いがしたが、足を広げて男の背中に自分の性器を見せることさえした。それにしてもいつまで男は本を選んでいるのだろうか。よくは聞こえないが、男はぶつぶつとひとり言を言っているようだった。


「今日、ママンが死んだ」
「長いあいだ、私は早く寝るのだった」
「空はまだ明けきってはいなかった」
「濡れそぼった顔をタオルで拭いて、エンジンをかける」
「芸術作品は、原則的に複製可能であった」
 スジコは万華鏡のように目の前に広がった背表紙を前にして、目に入った本の印象的な書き出しを覚えている限り口ずさんでいた。スジコはもはやうんざりしていた。なぜか「裸になって、本を読んでくれ」と言ってしまったばかりに、このように本を選ばなくてはならない、という行為に対して。でまかせに二八歳などと嘘をつきはじめた自分が悪かったのかもしれない。しかし、これでは自分で自分に嘘をついているようなものだった。いまのスジコは、スジコが作り出した(嘘を継ぎ足して作り上げた)虚像の囚人そのものだった。これでは嘘の自分と本当の自分とのどちらが主人なのかわからない。本当の自分……?そもそも本当の自分とはなんなのであろうか……という問いの立脚点へとたどり着く前にそろそろこの悪ふざけを止めにしたい。スジコはそう考えた。五万円を握らせて、女は駅まで送り届ける。それでこの状況を抜け出せるならば、それも良し、という風に考えられなくもなかったのだ。実際にスジコは振り返り、女に声をかけようとした。そこには女が裸で自分のことを待っているはずだった。そして切り出したのだ。「もう、やめにしない?」。泥沼化した恋人関係の終止符を告げるその言葉を。皮肉なことに、そのセリフは、一年以上前、スジコがある女性に言われたことがある言葉だった。スジコはまだ、そのセリフが自分の性的不能を呼び起こした直接的な原因だと思っている。スジコの脳裏に一瞬その言葉を自分に伝えて去っていた女の顔が浮かぶ。「もう、やめにしない?」。


 しかし、振り返りった次の瞬間、スジコが見たものとは自分の周りを取り囲む、拳銃を構えた警官の群れだった。そして裸でいるのは自分自身であり、自分の部屋にいたはずが、場所は見覚えのある近所のローソンだった。スジコはすべてが終わってしまったのだ、と悟った。なにが起きたかはわからない。しかし、すべてはまた記憶を無くした間に起こってしまったことなのだろう。このような状況になれば、もはや、逮捕は免れないであろう。冷たい牢獄のなかに入れられ、しばらく暮らすことになるのだろう。スジコはぼんやりと考えた。あの女は?――それももはやどうでも良いことだ。自分が捕まれば、自分の家にも調べが入るだろう。そうなれば、あの死体も見つかってしまう。本当に自分が殺したのでないにせよ、自分が犯人として仕立て上げられるのは決まっている。自分の人生にもう勝ち目も未来もないのだ。スジコが大人しく警官に捕まってみせたのは、そのように考えられたからだった。そして、裸のままパトカーに乗せられ、裸のまま、事情聴取を受け、裸のまま「自分は女子高生を殺しました」と供述した。「でも、本当に殺したかどうかはわからないのです。とにかく死体は自分の家の風呂場にあります」。それを聞いた刑事は仰天し、スジコの家へと三人の部下を走らせた。


 だが、彼らがスジコの家で見つけたものとは、日本では販売が許可されていないスイス製の勃起不全治療薬だけだった。スジコが言う女子高生の死体など、どこにも存在していなかった。その報告を受けた刑事はスジコを怒鳴りつけた。「死体なんか、どこにもないじゃないか!バカにするのもいい加減にしろ!!」。それでもなお、スジコは自宅の風呂場にある女子高生の死体の存在を主張していた。「刑事さん、本当にあるんですよ!でも、自分が殺したかどうかはわからないんです!」。聴取が終わり、ひとまず留置所に入れられた後も、留置所の鉄格子を揺らしながらスジコは主張を続けた。「本当なんです!」。しかし、刑事の知りたかったことはそんなことではなかった。刑事はあのとき、スジコが裸でコンビニいた理由として供述書に書き込むもっともらしい理由だけを欲していた。二晩のあいだ、スジコは留置所のベッドで寝泊りをし、その間も彼は存在が確認できない死体の存在を主張し、次第に刑事たちの怠慢を嘆いた。「どうして調べてくれないんですか!」。だが、この間に刑事はひとつのもっともらしい理由を見つけることができた。刑事は部下に言いつけた。「これは俺たちの仕事じゃあない。彼に適当な病院を探しとけ」。「アル中のですか?それともEDのですか?」と刑事の部下は冗談めかして聞き返した。


 こうしてスジコスミオは、厚木にある病院へと入院させられた。彼が捜索すること要求した死体は依然として見つかっていないが、その病院にいる間に、彼の勃起不全は著しい回復をみせた。だが、見舞いの手紙も客も来ない現在の彼の生活が幸福であるかどうかはうまく判断がつけられないものであろう。


(了)