sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

東京楽友協会交響楽団第86回定期演奏会@すみだトリフォニーホール大ホール

 せっかくの休日なので書を捨て、街へ出て、森ガールでもハントしようかと外に出たのは良いものの肝心の森ガールらしきガールはどこにもおらず「メディアに騙された!フリーメイソンの陰謀だ!!」と強烈な被害妄想に駆られ(見つけたのは『アルパカかわいいー!』と30回は連呼していたであろう妙齢の女性2人組だけでした。彼女たちは『かわいいー!』と言い続けていなければ死んでしまうのではないだろうか。泳がなければ死んでしまう鮫のように。肉食の鮫……それはつまり肉食系女子を象徴する符牒でもある)絶望的な気持ちになったため、錦糸町へと向ってコンサートを聴いた。本日聴いたプログラムは以下。

ワーグナー:歌劇《タンホイザー》序曲
リヒャルト・シュトラウス:《4つの最後の歌》
ツェムリンスキー:交響詩《人魚姫》

 見事に後期ロマン派尽くし、といった感じの重量級プログラム。お目当てはもちろん、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーの交響詩《人魚姫》。彼は西洋音楽史において、マーラーシェーンベルクを繋ぐ人物として近年徐々に注目度を高めている作曲家である。プログラム解説によれば、今回演奏された作品は20世紀初頭に初演されて以来、一度も演奏されずにスコアが紛失、1980年代に再発見されて「蘇演」された、というなんだか曰くつきのものである。もちろん、聴くのは初めて。この作曲家については以前に代表作である《叙情交響曲》をCDで聴いたことがあるだけで「なんだか難しい作曲家であるなぁ」という感想を抱いていたのだが、《人魚姫》は割かしマトモな作品であった。これは全3楽章構成にわたるもので、形式的に言えば交響詩というよりも、交響曲に近い。しかし、なにかの描写として用いられるモチーフの使用には、交響詩の祖であるフランツ・リストの直系であるかのような印象を受けた。作曲年代からすれば、ツェムリンキーの初期の作品となろうが「こういう割かし平明な作品(だが演奏はとても難しそうな……)も書いていたのだなぁ」という風に勉強になった。


 中プロの《4つの最後の歌》について、私はこの作品の良さがほとんど分っておらず、今回も分らないまま終わってしまった。実演に触れたのは今回で2度目なのだが(そういえば前回もアマチュアの演奏だったが、そのときはオーケストラの技術的な問題が多々あった)やはりピンと来ない。全体的に暗い曲で、さらに作曲家の最晩年の作品ということもあり、とかく「死のテーマが云々」などと言われがちな曲なのだが、この作曲家の場合、生涯のほとんどを成功者として過ごしていると思うので、年を取ってから暗くなられてもなんだかなぁ、という感じがしないでもない。そもそもこの作曲家は、典型的なアポロン肌の芸術家であり、ディオニュソス的な才覚には決定的に恵まれていなかったのではないだろうか……と今日の演奏会を聴いていて思ってしまった。単なる印象論に過ぎないし、『悲劇の誕生』も読んでいないけれども……。


 東京楽友協会交響楽団は私と同じオーケストラに所属されている方がコンマスをされているつながりで今回初めて聴きにいった(他にも私と同じオケ所属されている方がたくさん乗っていた)のだが、全体的なレベルがものすごい高い楽団でとても驚かされた。今回すべての曲でソロを取られたコンマス様、大変お疲れ様でした(素晴らしかったです)。