sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

三木聡監督作品『転々』

 三木聡オダギリジョーの『時効警察』コンビ(ドラマは一切見ていないが……)による『転々』を観た。この手のサブカル臭漂う映画は当たり外れが多くて、ガッカリさせられることも多いのだけれど、これはかなり面白く鑑賞する。変な髪形のオダギリジョーと変な髪型の三浦友和が、東京をひたすら歩き続けるミニマルかつ循環的なロード・ムービーと言えるだろうか。このコンビはファウスト博士とメフィストフェレスのようでもあり、また、弥次喜多風でもある。これと言った中身は特にないのだが、脱線の連続でなかなか目的地にたどり着かないうねうねしたストーリーと、小ネタの数々がくだらなすぎてツボ。あと、オダギリジョーの独白から始まる映画ってやけに多い気がした。特別印象のあるナレーションをする俳優だとは思わないのだが、なんなのだろうか。
 それから吉高由里子という若い女優の存在感が強烈に印象に残った。彼女については以前、フジテレビのドラマに出演しているのを地元の友達から「吉高由里子が良いから観ろ!」と強制的に見せられたことがある程度で、まぁほぼ何も知らず、というか「可愛くないよな……」としか思っていなかったのだが、この映画に出ている吉高由里子はすごかった。全盛期の篠原ともえを想起させる気が触れる寸前のテンション――これが演技なのかホンモノなのか、まったく分からない。オダギリジョー小泉今日子三浦友和、そして彼女という4人で一緒に食卓を囲むシーンがあるのだが、吉高以外の3人は「映画」という枠組みのなかでリアリティを感じさせる、板についた演技をしているなかで、彼女だけが生々しい、フィクションではない現実を感じさせる。フィクションのなかにぽっかりと穴をあけるような、そういった強烈さがある。
 こういった感覚を抱いたのは、『硫黄島からの手紙*1に出演している二宮和也以来かもしれない。こういった演技を見せ付けられると、しばらく「あれはなんだったのだろうか……」と胸のうちがざわざわするような気分になる。