sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

ニコ

 高貴にして澱んだ血統に生まれた誇り高き雑種犬、ニコが我が家にやってきたのは私が中学生の頃、地元にあった公立の進学校へ進もうと受験勉強を始めた春だった。それは今では犬猿の仲である私の弟がまだ小学5年生のときであり、弟が小学生らしい突然の思いつきで「犬が飼いたい」などと言い出したために、その思いつきにまんまと乗せられてしまった母親が同僚の家で生まれたニコを貰い受けてきたのだ。
 「犬など貰ってきても、こいつはすぐに世話をしなくなるに決まっている」。私は弟の飽きっぽさを両親以上に見抜いていたため、当初仔犬を貰ってくることに強く反対していた。しかし、古くなった毛布が敷かれた段ボール箱に入って我が家へと連れられてきた仔犬を見た瞬間に私は、その愛らしさに思わず心を打たれてしまっていたのだった。生後4週間だという仔犬は眠っている時間のほう多く瞼はまるで世界が眩しすぎるかのように閉じがちだったが、ときどき目が覚めると段ボールの壁をよじのぼって、いつの間にかヨチヨチとそれまで自分が入っていた箱の周りを歩いていたりする。すると、丸々と肥えた腹部の肉が覚束ない足取りにあわせてふるふると揺れる。この様子がとても可愛らしい。また、眠っている間に仔犬の口元に自分の指を差し出すと、親犬の乳首だと思ったのだろうか、私の指をチュパチュパと吸い出すのである。これには如何なる強面の男子であっても表情を緩めてしまうにちがいない。
「コロコロと太ってっから、コロがぜべ」
 仔犬が我が家にやってきた次の晩、最初の名づけ親となったのはまだ病に臥せる前の祖父であった。当時、祖父は戦後直後から続けていた工務店の仕事を辞めており世間的には隠居の身であったのだが、我が家では静かに大きな権力を振るい続けていたのだ。そのため、祖父の提案は速やかに決定事項となった。私は懸命に「ブロス」という名――それはその年、ヤクルトスワローズにおいてノーヒットノーラン記録を成し遂げた長身の助っ人外国人投手の名前である――を推したのだが、いつもは意見など言わないはずの祖母までが「んだ、コロがぜ」と言い出したため、渋々仔犬を「コロ」と呼ぶことを認めた。しかし、今思えば私の主張も無茶なものであったと反省せざるを得ない。仔犬は雌犬だったのだし、大体「ブロス」は苗字だったのだから。


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 名は体を成す、と中国の古い諺にあるように、あらゆる文化において「名前には特別な意味と力がある」と古来から信じられてきた現象は近代の宗教社会学者によって「言霊信仰」として名づけられた。祖父が肉付きの良い愛らしい仔犬に「コロ」という名を授けたのも、仔犬の愛らしさのままで育って欲しいというような願いを込めてのものだったに違いない。しかし、4月、5月、6月と東北の穏やかな春の日差しの中で育った仔犬は、祖父の願いとは裏腹に育っていった。コロの腹部に溜まっていたはずの脂肪は、すっかりと姿を消し、あばらと骨が今にもくっついてしまいそうなほど痩せてしまっていたのだ。しかし、それは病気によるものではない。事実、コロは縄を放てば夕方まで自分の小屋へと戻ってこないほどの活力を見せていたのだし、おそらく、コロが尖ったような凛々しい成犬の姿へと育ったのは、柔らかかつ豊かな柴犬の血のなかに徳川5代将軍綱吉にも珍重されたという日本スピッツの血が混じっていたせいであり、コロの成長とともにその高貴な血が強く主張し始めたのだろうと私の祖父は推測した。
 祖父が仔犬のコロに対して抱いた願望は見事に裏切られていたかのように見えた。しかし、その経過に対して祖父は文句を言ったりはしなかった。武士(たけし)と名づけられた子が時には商人になることを希望することがあるように、名付け親の期待とは身勝手なエゴでしかないことを祖父は70年の年月のなかで学んでいたのだろう。凛々しい成犬となったコロの容姿には、コロの名に相応しい仔犬の頃のふくよかな印象は消え去ってしまっていたのだが、祖父は気にせず仔犬の頃と変らない、こどもを見つめるような優しいまなざしで毎日鎖につながれた飼犬を眺めていた。
 一方、黙っていなかったのは祖母のほうだった。祖母は女らしい思い切りの悪さで意地悪く、ことあるごとにコロが仔犬だった頃の愛らしさを失っていったことを責めるような言葉を口にした。こだごとじゃ、コロでなくて、ヤセだ。家の畑で育ったキャベツを食料として育ったモンシロチョウが小屋の周りをゆらゆらと不規則に飛び回っているのをの鎖につながれたままのコロが追いかけている姿が目に入ると、祖母はそのようなことを言った。そして、祖父、祖母、父、母、私、弟……という6人家族のなかで、唯一祖母だけがコロを、ヤセ、ヤセ、と皮肉を込めて呼ぶようになったのだ。


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 しかし、祖母から「ヤセ」と呼ばれ始めたときを境にして、コロは急激に太り始めた。以前は整備されたサッカー場の芝生のように美しかった焦げ茶色の毛並みの下から浮き出ていた肋骨は瞬く間に脂肪によって蔽われ見えなくなり、頬から零れるほどに垂れた肉はブルドッグと見間違えるほどだった。野生の狐のようにピンと上を向いた耳も地面を向き、まるで血がそっくりと入れ替わったような変化がコロの体に訪れたのである。この変り様には、弟以外――私の予言通り、弟は貰われてきた仔犬が成犬となった途端に見向きもしなくなっていた――の家族皆が驚いた。しかし、その驚きとともにやってきたのは大きい落胆でもあった。日本スピッツの血の主張によって凛々しく育った飼犬が、いまや肉屋の冷凍庫に吊るされた豚の肉塊のような姿へと変貌していたのだから。
 以前は俊敏で誰にも捕まえることができないほど素早かった動きは重い肉の鎧に邪魔され極端に鈍り、家から数十メートルの散歩だけで死を目前とした老人のような吐息を吐くようになった犬はもはや「コロ」とも「ヤセ」とも呼ばれなくなっていた。そこでこの犬が、「犬」あるいは「ウチの犬」とだけ呼ばれるようになったのには、何らかの意図を含んだ名をこの犬に与えるならば、必ずやこの犬の身体にその意図とは正反対の変貌が訪れることを弟を除いた家族の誰もが予感してのことだったのだろう。その証拠に父が犬を「チビ」と呼べば、毛皮で身を包んだ大男が乗った橇をぐいぐいと引っ張ってしまいそうな猛犬へと姿を変え、母が「ジェシー」とまるで外国の品の良い犬のような名で呼べば、すぐさま犬の毛は路地を狂犬のような汚らしいものに生え変わった。もし私が「ブロス」と呼んでいれば、140キロ代で縦に大きく変化するスライダーの代わりに80キロ代のスローカーブと110キロのストレートの落差で打者を翻弄する技巧はの投手になっていたかもしれない――春に貰われてきた仔犬がそのように天邪鬼な成長を見せることを誰もが不思議に思っていたが、弟以外の誰もがその気持ちを口には出さなかった。犬の成長は私たちにとって不気味なものに感じられたのだ。


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 高貴にして澱んだ血統に生まれた誇り高き仔犬が我が家にやってきてから1年と半年が過ぎた晩夏、土地を囲うようにして聳え立つ小高い山々へと沿った土地に建てられた我が家を夏の昼間に覆っている不快な空気が薄らぎ始めていた日に、私はついこないだまですぐ近所の雑木林のなかで採れる昆虫に夢中だったはずの弟が、犬を「ニコ」という名前で呼ぶのを目撃した。私だけではない、祖父も祖母も、父も母も、弟が犬を「ニコ」と呼ぶ姿を認めたのだ。しかし私たちが驚いたのは、贅肉のたるんだ胴体から4本の足を生やした醜い生き物が、弟がニコと呼びかけるたびにそれが自分に最も相応しい名前であるかのように喜んで尻尾を振り、重い体をピョンピョンと跳ねさせていたことだった。
 「あだによろごんでるの、みだごどねがったあ」と祖母は言った。それから祖母は、弟に「ニコ」という名前が何を意味する言葉なのかをしつこく問いただすようになったが、弟の返事はなんとも要領の得ないものだった――あるとき、なんの意味もない言葉だ、と言ったかと思えば、またあるときは古インディアンのフルボ族の言葉で“雨乞い”の意味だ、と言う。さらにはシカゴ市警に勤める最強の刑事の名前だ、などと言った。弟は日によって答えを変えていたのだ。
 結局、弟が何を思って犬をニコと呼び始めたのかは分からないままだったが、その名前は我が家に定着することになる。それは弟によってその名を授けられた犬が徐々に、仔犬のときの可愛らしさを取り戻していることに私たちが気づいていたからだった。やはりその変化は劇的だった。私たちは、ニコと一声かけるたびに疥癬病みの野犬のような毛並みが元の高貴な血統に由来する美しい毛並みへと生え変わるような気がしたし、犬小屋から容易には出れそうにない巨躯がみるみる小さくなっていくような気がした。
 弟が何を思って「ニコ」という名前を犬に対して与えるに至ったのかは分からず終いのまま、ニコは2歳の春に4匹の仔犬を産み、そして7歳の夏、41.8℃というその季節で最も高い気温を記録した日に死んだ――夕刻、沈みかけた太陽の光と反対側にできた小屋の日陰に潜むようにしてニコが死んでいるのを祖母が発見したのだった。そのときニコは人間の年齢でいえば、初老を目前とした歳であったが眠るようにして地に伏せたままの死骸は不思議と生きていたときよりも艶やかで、滑らかな毛並みだったと言う。


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 病床に臥した祖父がいつかこんな風にニコについて語ってくれたことがある――いづだったかわすれっちまったげども、桃のせんてさいぐどごだったがな、朝おぎでトラクタさエンジンかげっぺ、すっとボッボボボッボっていうべした、いづもそのおどでニコは、は、目がさめっちまって、ワンワン、ワンワンなぐんだあ。だげども、そんどぎはなんだがしんねげどながねんだ。なんだべなど思ってえ。小屋のほさ目やったら、いづも鎖つながっちだはずのどごにニコがいねのよ。なんだべ、夜間に、は、逃げっちまったのがど思って、そしたら大変だべえ。んで、トラクタのエンジン切って、降りで探そどしたんだっけ。したっけ、よっくみたっけが、はだげのほさ、なんだが女の人が立ってんのがみえだんだ。なんだべ、こんな朝早ぐによお、ど思って。おっかねべした、あだまおがし人がはだげに入ってんだべがど思って。んでも俺もせんてさいがねっきゃいげねべ、いづまでも犬ばっかさがしてるわげにはいがねがら、その人さ聞いでみだんだ。この辺で、犬みにがったがい、ってよお。したっけが、その人が、は、にこにこ笑いながら、それは私のことですか、なんてわげわがんねごと言うんだ。よっく見だっけが、その人は、は、裸足でよ。なんだがうづぐし人だったげんちょも、おっかねなあ、ど思って。めんどくせごとになっとわりがら、ほっといでせんてさ行ったごとあんだあ。んだげど、よっく考えでみっど、あれもほんとにニコだっだがもしんねな、あの犬だったら、そだごどになってだがもしんねべ。
「んがも、しんねな」
 乾いた唇を一生懸命動かしながら祖父が伝えようとした不思議な体験談に相槌を打とうとして自然に出てきたのは生まれた土地の言葉だった。
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