sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

『スカイ・クロラ』における超越的視点の扱い

 劇中、草薙水素は「とびきりのエースだったせいで、人より長生きし」、ゲームから脱却した人間として描かれる。死に続ける人間から、いき続け、死に続ける人間を観察し続けるへと立場が変化する。それはリアリティが覚束ない現世から脱却し、超越的な視点を持ったことを意味する。このように超越的視点を持つことは『Avalon』でも『攻殻機動隊』でも描かれてきた。『Avalon』の主人公、アッシュは最後にゲーム的世界から脱却する(そしてそれを承認することによって物語は閉じられる)。『攻殻機動隊』においても。また、『イノセンス』ではネットの世界へと超越した草薙素子はバトウを見守り続ける、観察し続ける存在として登場する。つまり、『スカイ・クロラ』と『イノセンス』における2人の別な「草薙」はほとんど同じ視点を持った存在だと言える。
 しかし、『スカイ・クロラ』での草薙が、その視点に立つことに耐えられない。自ら死を求めるようにして戦闘機にのり、もう一人の主人公、死に続ける存在、現世に留まり続ける存在である函南から殺されることを望む。『イノセンス』での草薙が平然とネットの世界へと留まり続けるのとはここは対照的である。ふたつの映画は世界における「リアリティの不在とその不安」を描いている。しかし、超越的な視点を得、さらにリアルを観察することが可能になった人物の描かれ方はまるで正反対であるのはとても興味深い。これを押井守の変化と同一視して良いものかはわからない。だが、『スカイ・クロラ』における草薙は、「リアルを観続けることのしんどさ」のようなものを表しているように思う――ワインを飲み続ける行為は、そのしんどさからの逃避なのだろうか?