sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

クリント・イーストウッド監督作品『ミスティック・リバー』

ミスティック・リバー
ワーナー・ホーム・ビデオ (2007-04-06)
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 またすごい映画を観てしまった……。
 3人のこどもがいて、そのうちの1人の身に事件が起こる。被害者に選ばれたその1人の人生は、そこで大きく変る。選ばれなかった2人の人生もそれぞれ進んでいく。その進行はまったくの不可逆である。一度進んだ時計は2度と戻らない。しかし、被害者に「選ばれた」のは、運命でもなんでもなく、まったくの偶然によってなされている。この偶然性の描かれ方がものすごく深刻で良かった。とにかく、選ばれた人の落ち方がハンパじゃない。なんか知らないけど、家族巻き込んでドン底まで落ちているし、全然ハッピーエンドじゃない(のに最後はやたらとハートフルな音楽が流れる。音楽はイーストウッド自身によるもの。この演出狂ってるよ!)。
 それから「もしかしたら、選ばれたのはアイツじゃなくて俺だったかもしれない」という問いを作品のなかで、選ばれなかった2人が行う場面もある。これも興味深かった。「こうもあり得たのではないか」と2人は問う。しかし、その問いは選ばれなかったからこそ可能である。ここでイーストウッドが提示する問題は、ほとんどデリダだ。が、イーストウッドデリダと違って「こうもあり得た」という(あり得ない)問いに留まらず、「まぁ、選ばれなかったから良いじゃん」と開き直る。選ばれなかった2人に訪れるラスト・シーンはそういった風に解釈できる。
 観終わってから「やっぱりクリント・イーストウッドという人は生きる奇跡みたいな、理解不能な存在なのだ」と思ってしまった。こんな作品が「なんかものすごいインテリの人」ではなくて「元西部劇俳優」が撮っている、なんてちょっとすご過ぎる。でも、ほとんど誰も「異常だ」と言わない。私にとって、これはやはり混乱してしまうような事実である。ここまで後味が悪い映画なかなか無い気もするし――なのに、まさかの感動モノ扱い。
 あと、一番不可解なのは「なぜ、こういった作品をイーストウッドが撮らなきゃいけないのか。そして撮り続けるのか」ということなんだけれど、全然分からない。かなりクレイジーな人が、常識人扱いされているようなねじれすら感じる。まったく、なんなのだろう……今後も私は悩み続けるのだろう……「クリント・イーストウッドとはなんなのか」と……。