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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

矢作俊彦『ロング・グッドバイ』

ロング・グッドバイ (角川文庫 (や31-5))
矢作 俊彦
角川書店
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 「ロング・グッドバイ」と言っても、レイモンド・チャンドラーの「The Long Goodbye」ではなくて、矢作俊彦による「The Wrong Goodbye」である。言うまでも無いけれど、素晴らしい小説だった。矢作の作品を読むのは久しぶりだったが、「小説のテクニック」で言えばこの作家ほど上手い人はいないのではないか、と思わせられる。「これはカッコ良い小説だ!」という他につける言葉を寄せ付けないほど強いエンターテイメント性と叙情を兼ね備えた「小説」を書く、ということはこの作家にしかできないことなんじゃないか、って思ったりする。
 とはいえ、そこで感じられる「カッコ良さ」とは、極めて男性的なもの、言ってしまえば、ハードボイルド的なものなのだろう。待つ人が誰もいないアパートに帰り、一人、強い酒を飲みながら思念に耽る……だとか、世界的に有名なヴァイオリン奏者に口説かれながらも決して(あえて)寝ようとしない……だとか、主人公である二村のとる行為ひとつひとつ、セリフのひとつひとつが「このカッコ良さは男性にしか分かりえない、かなり排他的なカッコ良さなのではないか」と思わせる。無論、私はそこにハマってしまうのであるけれど。
 また、そのカッコ良さとはひとつのロマン主義でもあるのだろう。神奈川県警の捜査一課(警視庁ではない)に所属する一人の刑事、二村が国際的な犯罪に巻き込まれていくというあり得なさ、あるいは、二村がとる行動のひとつひとつに「あり得なさ」は紛れ込んでいる(だって、美人の世界的ヴァイオリン奏者から口説かれたら、寝ちゃうでしょ、どんな男でも)。これらの現実的なあり得なさに対して、(男性的な)ロマン主義は発動する。
 しかし、そのあり得なさを描く点こそが、矢作俊彦という作家の特異性であるかもしれない。特に現代においては。凡庸な人間が、特殊な事件/状況へと巻き込まれていく。こういった設定は、かなりよくある現代小説の形式であるように思う。しかし、矢作が描く物語ではそうではない。あり得ない人物があり得ない状況へと関わりあっていく。「あり得る凡庸さ×あり得ない状況」ではなく、「あり得無い特殊性×あり得ない状況」――これは川上弘美が言うところの「ウソ話」というライトさと、近代小説にある「重さ」との違いでもあると思うのだが――を成立させてしまう矢作の手腕は極めて稀有なものであると思う。