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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

Eric Dolphy『Eric Dolphy at the Five Spot, Vol. 1』

Eric Dolphy at the Five Spot, Vol. 1
Eric Dolphy Quintet with Booker Little
Original Jazz Classics (1994-03-15)
売り上げランキング: 5698

 もう40年以上この店を続けているという妖怪染みたマスターからカウンター越しに砂糖抜きのフローズン・ダイキリを受け取ると、彼は私のほうに向きなおし「これは、ヘミングウェイが最も愛したカクテルなんだ」と言った――彼の口から、猟銃自殺をしたアメリカの偉大な作家が好んだ酒について説明を受けたのはそれが初めてではなかった。飲んでしまうと過去にした話の記憶を綺麗さっぱり無くしてしまう、これは彼の数多い悪癖のひとつだったと思う。
 とにかく、よく喋る男だった。
「まったく、やりきれないよ。アイツら、文学のことなんか何一つわかっちゃいないんだ。同じ科の女の子に『何でこの科に入ったの?』って聞いたんだ。どんな答えが返ってきたと思う?『私、フランスが好きなの!』――だってさ。まいっちゃうよな。ラシーヌモリエールバルザックボードレールプルーストもなしさ!まったく、カッとなって口の中いっぱいにフランスパンでも詰め込んでやりたくなっちゃったよ。皮肉だよな。でも、そういうヤツらが俺よりも良い成績とって、表彰なんかされちまうんだ。なんか間違っているとは思わないか?」
 そう一息に言うと彼は、グラスの底に残ったクラッシュアイスを喉に流し込む。彼の話す勢いは、まるでエリック・ドルフィーの演奏みたいだった。速射砲のように放たれる苛立ちの言葉の数々。まくしたてるようにしてあれほど早口に喋ることができる人物は、私の交友関係には未だ彼以外現れない。
「一個上のゼミの先輩がさ、この前大きな銀行に就職したんだってさ。発言もしなければ、ゴミみたいなレジュメしか作れない男だよ。この前大声で『最初は給料安いけど、ちょっと我慢すれば年収1000万だよ』って笑いながら話してたよ。あんなぽっと出の出来損ない、2、3年で使い捨てられるに決まってるのにさ。おめでたい人間っているんだよな。もし、あいつが金持ちになったらそれこそこの国は終わりさ。ゴミみたいな人間が世の中の上のほうにいて世の中を動かしてるってことだからの証明にしかならないじゃないか。そんな風になったら、俺はアイツの銀行の窓口でクビをくくってやるよ!」
 しかし、同じ「速射砲」でも彼がドルフィーと違っていたのは、彼の言葉が誰の心も捉えなかった、という点だろう。1964年に死んだアルト・サックス奏者の音は、21世紀になった今でも誰かの胸に突き刺さり続けている。けれども、彼の言葉はそうではなかった。言ってみれば彼は速射砲ではなく、射程の範囲外を飛ぶB-29に向けて、無駄な空薬莢を吐き出し続ける日本陸軍の高射砲だったのかもれない。
 空を切るだけの言葉が虚しく宙を舞い、それは彼自身の記憶からもすぐに忘れ去られてしまう。

音楽を聴き、終った後、それは空中に消えてしまい、二度と捕まえることはできない。

 今も彼はどこかでそういう言葉を吐き出し続けているんだろうか?