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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

アントン・ブルックナー

ブルックナー:交響曲第7番
ショルティ(サー・ゲオルグ) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ブルックナー
ユニバーサル ミュージック クラシック (2007/03/07)
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ブルックナー:交響曲第8番
ヴァント(ギュンター) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ブルックナー
BMG JAPAN (2007/11/07)
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 アントン・ブルックナーという作曲家は、私にとってベートーヴェンやバッハといった古典、あるいはブラームスマーラーショスタコーヴィチといった近代の作曲家ほど親しみのある名前ではない。例えば「どの曲も似たような感じがする」という特徴はそれだけで少し敬遠したくなるタイプのものである。それに一時間超にわたって執拗なほどに同じ展開を繰り返すあの長大さを、慌しい日常のなかで楽しもうとするとそれだけで腰が重くなってしまう。
 とはいえ、じっくりと腰を据えて聴く時間を作って聴いてみるとなかなか面白い。クラシック音楽のファンのなかに(比較的少数ではあるけれども)、熱狂的なブルックナー・ファンが存在するのはなんとなく理解できる。
 しかし、やはり玄人向け風の音楽である、という印象はぬぐえない。ベートーヴェンブラームスマーラーやバッハなどと違って、ブルックナーはハマる人でないとハマらない、そういった性質があるように思う。
 私はやはりハマれない人なのだろう。どの曲を聴いても同じように聴こえてしまうし、「この作曲家がこの音楽で何を目指していたんだろうか」というポイントがさっぱり把握できない。もうちょっと突っ込んで言うとブルックナーの音楽と結びつく「何か」が上手くイメージできないことに、この音楽の理解の難しさがあるようにも思う。
 ここで逆に、音楽と「何か」が強く結びついているものを考えてみる――ドヴォルザーク交響曲第8番や、チャイコフスキー交響曲第4番を聴くと「スラヴ的な体臭のキツさ」や民謡的な主題の「泥臭さ」がイメージできる。マーラーであれば「退廃的な甘美さ」や「悪戯じみた狂気」、バッハやベートーヴェンなら「硬い石で築かれた建築物」、ブラームスはとにかく「秋」だ――とこんな風に次々と(個人的な)例をあげることができる。
 でも、ブルックナーにはそれがない。荘厳なアダージョと野蛮染みた金管のファンファーレの組み合わせが同じ交響曲のなかでちぐはぐに同居しているこの不思議さに苦笑しながら、毎回「なんだかわかんないけど、おもしろい曲だなあ」などと思って聴いている。有名な音楽評論家が「ブルックナーの音楽は宇宙だ」と言っていたけれども、この「なんだかよくわからない感じ」というのは確かに宇宙的である。

 あと交響曲第8番の第4楽章は、ジャンル的にはメタル!(嘘)