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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

武満徹はなぜ特別なのか?#2(言葉編*1)


 「音の魔術師」と呼ばれた作曲家はラヴェルだったが、武満徹は「言葉の魔術師」と呼ばれるべき作曲家かもしれない。「作品とタイトルは詩的な関係性を持たねばならない(ルネ・マグリット)」――この箴言を遵守するかのように、武満の作品が冠する名前はどれも詩的な響きを持っている。
 彼のタイトルは、伝統的な作曲家のように「楽想、テンポ、形式を示すもの」としての機能を持たない。むしろ、そのような伝統を頑なに拒もうとするかのようにも思える(実際、彼の主要な作品のなかでそのように伝統的な命名がなされたものは、初期の《2つのレント》と《弦楽のためのレクイエム》ぐらいである。なお、《2つのレント》は後に《リタニ》(“連祷”の意)という曲に改訂された)。このような傾向は20世紀以降の作曲家が多く共有するところだから、そこまで珍しくない――しかし、後期ロマン派の交響詩印象派から始まる“戦略”を日本で最も上手く継承し、実行したことに関して武満の右に出るものはいなかったように思う。
 冒頭にあげた映像は、《海へ III》*1の第3曲「鱈岬」。このもとになった作品《海へ》(アルト・フルートとギターのための)の初演が1981年だったのが信じられないほど、オーセンティックな美しさを備えた小品だ――漂うなフルートとハープの音像によって描かれる水のイメージは「ドビュッシーラヴェルの焼き直し」という揶揄を、賞賛の言葉へと変換してゆく。
 また、武満自身はタイトルに関してこんな言葉を残している。

音楽は名詞化する以前の状態であり、タイトルは正確であるべきだが、それで音楽が限定されるようなことがあってはならない。それは強い喚起性をもつべきであり、またそこに暗示のいりこむ隙をのこしておく。

 これは武満の最も有名な作品である《ノヴェンバー・ステップス》を作曲中に思索したことの記録だが、ここで示された彼の態度というのは彼の作品全般に通じて言えることではないだろうか。言葉はときに強く作用し過ぎてしまい、本来の現象から意味をそぎ落とし過ぎてしまう。武満が懸念したのは、このような言葉の強さだろう――だから武満は例えば固有名詞のように、ごく限定された意味をもつ言葉をタイトルに用いなかった(献辞的に用いられることはあっても)。武満のタイトルは「水」、「鳥」、「星」……このようなキーワードで括ることのできる普通名詞の並列によって構成されている*2。それは具体的な意味を伝達する言葉のではない。聴衆となる人々の想像力に働きかける呼びかけなのだ。リストの交響詩が実際には「交響ストーリー」であり散文的だったのに対して、武満の音楽はこのような「呼びかけ」によって「交響する詩」として構成される(武満の音楽は韻文的なのだ)。
 また、このような呼びかけは人を選ばない。それは音列操作の巧みさや新しい演奏技術の導入といった音楽の言語による呼びかけが「音楽的言語のスピーカー/リスナー」(言い換えれば、アカデミックな音楽のシステム内にいる人々)にしか届かないのに対して、武満の日常的な生活言語(文学で使われる言語)によってなされる呼びかけは音楽のシステム外へと伝わっていく――彼の特別さの非常に大きな要因であったのは、この点なのだと私は思う。
 ただ、彼の呼びかけは雄弁なものでも、淀みなく述べられる言葉では決してない。むしろ、途切れがち、かつ繊細で、リストの散文的音楽の雄弁さと明快さと比べれば、武満の韻文的音楽は吹けば消えてしまいそうな存在感しかない。だから、我々はその音に対して真摯に耳を傾けなくてはならない。沈黙に抗う武満の音に。
あの人に会いたい−武満徹
 映像は*3NHK「あの人に会いたい」から抜粋されたものだが、ここで喋っている武満の姿を見て感動してしまったのは、武満の話す日本語の流れが彼の音楽ととてもよく似ているのを発見したことである。彼が書く文章が音楽と似ているのは前から知っていたけれども(武満の著作はどれも本当に面白い)、話し方まで似ているとは思わなかった――それは饒舌な話し方とは、とてもじゃないが呼ぶことができない。しかし、とても慎重に選ばれた言葉だ、と思う。ただ単純に、武満が吃音者であるがゆえに、そのようにしか話せなかったのかもしれないけれど。

どもることでもう一度言葉の生命を噛みしめてみる。観念の記号に堕した言葉にふたたび本来の呼び交うエネルギーを回復するために。

 ただ、私は「武満の繊細な音楽が、なぜ心を打つのか」の秘密もこういうところに隠されていると思う。

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*1:テロップで《海へ II》と紹介されているが間違い

*2:武満が好んで用いた言葉によっても彼は、ドビュッシーメシアンと結び付けられる

*3:リクエストによる埋め込み無効のためリンクのみ紹介する