アウシュヴィッツ以降に……
昨日紹介したラン・ランが演奏しているモーツァルトの映像を繰り返し、繰り返し観ている。このモーツァルトは本当に素晴らしい。「心が洗われるような……」という表現がぴったりくる無垢な音楽である。しっかりとピアノを弾いているわけではない。この演奏で聴くことのできる、思いつきでやっているようなテンポのゆらぎや、速いフレーズでの音のバラつきは――極端な話、ものすごく適当に/即興的に弾いているのだが――モーツァルトの楽曲の「遊戯っぽさ」を感じさせる。こういう演奏は、10年に一度生まれるか生まれないかという「ホンモノの天才」にしか許されないのだろう。
ここには戦略や主張など何もない、と私は思う。言いたいことなんか何もなくて「ただ、音楽が楽しくやれさえすれば良い」というような、ある種の無内容な音楽が展開されている。そこが素晴らしい。「アーティストぶらない」とでも言えば良いのだろうか。戦略や主張なんかなくても、ラン・ランのピアノはきちんと音楽になっている。