sekibang 1.0

2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

クラシックとモータースポーツ

 会社員として働き始めてあっという間に三ヶ月が経ち、ボーナスでテレビを買ったので、休日は家でホッピーを飲みながら『N響アワー』と『芸術劇場』をぼんやりと見て過ごす、というヌルい暮らしを送るようになった。大学に通っていた頃はテレビを持っていなかったので、ほとんど4年ぶりに池辺晋一郎先生のダジャレを耳にしたのだけれど、まぁ、お変わりのないこと。アシスタントの女性も、N響の団員も入れ替わってるのに、この人だけはずっと変わっていないのがすごい。ヌルさを通り越して、優美な感さえある。また、先々週の『芸術劇場』は音楽評論家、吉田秀和の特集でこれもまた感動的であった。
 私が見るテレビ番組って(皆藤愛子を観るためだけにつける)『めざましテレビ』と前述の二つの音楽番組ぐらいなのだけれども、先々週は偶然F-1の中継を観た。モータースポーツには全然詳しくないんだけど、車メーカーが持てる技術力を一心に注いで作った車が爆音でサーキットを走り回る、レーサーは命がけでハンドルを握っている、という感じは良い。レーサーだけではなく、チーム全体で勝負を作り上げていく、っていう感じはオーケストラにも似ているような気がする。
 オーケストラの指揮者にも、F-1レーサーみたいな人たちがいる。「ドライヴ感を持っている指揮者」と呼ばれる彼らが作り出す音楽は、聴いていて手に汗をかいてしまうぐらいの興奮に満ちていて、退屈という言葉を知らない。そういうタイプの指揮者の代表格と言えるのがカルロス・クライバーで、彼が振るリヒャルト・シュトラウスの《薔薇の騎士》の疾走感はサーキットを駆け巡るF-1カーそのもので、鋭く、美しかった。ただ、テンポが速い指揮者ならいくらでもいるけれども、クライバーの持っている音楽のうねりや自在さは特別だ、と未だに感じる。耳にぴったりと喰らいついて、スキを見せたら鮮やかに追い抜かれてしまうような。
 オーケストラとF-1が似ている、と感じるのは、(私でも知っているドライバーの)ミヒャエル・シューマッハと(音楽に詳しくないアナタでも知っている)ヘルベルト・フォン・カラヤンが同じように“帝王”と呼ばれていたからかもしれない。そういえば、どちらも“名門チーム”を代表する立場に座っていた。フェラーリベルリン・フィルハーモニック・オーケストラ。どちらも世界最高峰の「誰もが憧れるブランド」である。もっとも、“帝王カラヤン”が作る音楽は、クライバーのようにオケをドライヴさせるタイプのものではなく、嫌味なぐらいに外観を磨け上げたスポーツカーで「一番速く走れるコースを、ごく普通の法定速度で走る」みたいなものだったけれど。これは貶しているわけではなく、“カラヤンの運転”もそれはそれとして素晴らしい。「車には絶対キズやヨゴレをつけないぞ!」という潔癖症的なところがあるけれど、それが徹底されたときの異常な音楽の高級感は立派だとさえ感じる。
 連想ゲームを続けてしまうと、ベルリン・フィルと双璧を成す名門、ウィーン・フィルはクラシック・カー・レースでならこれからもずっと一位を取り続けるだろうし、「ドイツの放送局が持っているオケ」なんかはマツダとかスバルとか、そういう車メーカーに似ている(どちらもポピュラリティで言ったら『名門』に負けるけど、特定の部分に強そう。そして、ハードコアなファンがいる)、とか思い浮かんできてなかなか楽しい。そう思ってしまうと、「南西ドイツ放送響*1が……」とか言ってる人は絶対ロードスターにしか乗らなそうな気もしてくる。
 現在、ベルリン・フィルの芸術監督のポストに座っているのがサイモン・ラトルという人なのだけれど、この人がまた変わった人。ヨーロッパの指揮者で現在最も有名なのがこの人とワーレリー・ゲルギエフというロシアの指揮者なんだけれども、ゲルギエフが分かりやすくロシアの作曲家の曲をリリースし続けているのに対して、ラトルは全然進んでいるコースが見えない。ベートーヴェン交響曲全集やマーラーの録音を出してドイツ音楽の「王道」を走るかと思いきや、メシアンドビュッシーなどフランスの近現代の作品を取り上げてみたり、出身国であるイギリスの作曲家のCDを出したり……という感じで「一体、何がやりたいんだろうな」と正直思ってしまうところがある。録音の内容も「結構斬新で面白いのだけれど、少しネジれてるというか……いや、これ、良いのか?」と不安になることが多い。音楽の技術は高いんだけれど、直球で「感動した!」というところに持っていかない変わった指揮者である(この人の録音ではベルリン・フィル芸術監督着任以前のモノの方が好きなものが多い)。
 聴衆が戸惑うほど好き勝手やってるラトルの姿は「他に誰もいないサーキットで、フェラーリを乗り回している大富豪のおぼっちゃん」みたいに見えなくもない。世界最高峰のオケに自分の好きな曲を好きなように演奏させているラトルの笑顔を見てると「これもこれで幸福な音楽なのかなぁ」と思う。交通ルールがない場所で好きなだけアクセルと急ブレーキがかけられる自由を想像するとうらやましい。

*1:現代音楽で有名なオケ